sky-ward

written by あずま さま



story 2

















「マヤ!」

 真澄は一瞬躊躇したが、次の瞬間、マヤの方へ駆け寄った。

 その声が聞こえたのか、マヤが緩慢に頭を上げた。やはり熱があるのか、頬が赤かった。

 「もう帰っていたんだろう、どうして外に出たんだ?」

 真澄は強い口調で言いながら、思わず鋭い視線でマヤを抱えている男を見やる。

 「・・・あなたは?」

 真澄は尋ねた。歳は自分と同じぐらいだろう。眼鏡をかけていて、落ち着いた雰囲気だった。医者だろうか。

 「私は・・・北島さんの知り合いです。用事があったので待ち合わせしていたんですが、ひどく具合が悪そうだったのでご自宅まで送って」
 「・・・そうですか」

 知り合い・・・。見たところ、演劇関係者ではない。
 どこでマヤはこの男と知り合ったのか・・・。

 真澄はそこで思考を中断させた。今は、マヤの風邪の方が大事だ。

 「代わりましょう。・・・マヤ、立てるか?」

 真澄はマヤの腕をつかんだ。

 しかし、マヤは首を振りながらその手を振りほどいた。

 「・・・大丈夫です。ひとりで歩けます」

 そう言っておぼつかない足取りで自動ドアまで行き、鍵を差し込んだ。

 「マヤ、部屋まで・・・」

 真澄が言い終わるのをさえぎり、マヤが真澄達の方を振り返って言った。

 「大丈夫です。・・・速水さん、何かご用がお有りでしたら、また後でにしてください。・・・細川さん、送って頂いてありがとうございました」
 「あ、いえ・・・。お大事に」

 細川が心配そうに言った。

 マヤはそのまま振り向かなかった。真澄と細川は、突き当たりの角でマヤの姿が見えなくなるまでガラス越しに見送った。

 どちらからともなく顔を見合わせる。

 「・・・あの、失礼ですが、どちらでうちの北島とお知り合いに・・・」

 真澄が慎重に言葉を選んで問いかけた。

 「ああ・・・。以前、道に迷ってた彼女に案内したことがあって・・・。うちの、とおっしゃると・・・。そちらは、ご親戚ですか?」
 「いえ・・・。彼女の所属事務所の、代表です」
 「所属事務所? 会社じゃなく?」
 「え、失礼ですが、女優の北島マヤをご存じないんですか? 『紅天女』の・・・」
 「ああ・・・彼女、女優さんですか。私は、テレビをあまり見ないもので・・・」

 今や日本を代表する大女優を知らない。そんな人間がいるのか。
 真澄は驚いた表情を急いで消しながら、隣をうかがった。細川は何の感情も表さなかった。
 女優とは知らなかった。聞いても驚かない。好奇心でマヤに近づいたのではないのか。

 真澄は疑惑を募らせた。
 道案内だけで約束をする仲にまでなるはずがない。一体、マヤとこの男はどんな関係なのか・・・。

 「あ、すみません。ここで私は失礼を・・・」

 細川は腕時計を見ながら言った。

 「ああ、すみません。引き止めてしまって・・・」

 細川はエントランスを出て少し先に停めてあった車に乗った。エンジン音が聞こえ、細川の車は間もなく走り去った。

 真澄も階段を降り、マンションを見上げた。マヤは6階に住んでいる。部屋の位置までは知らないので、明かりでマヤが無事に部屋まで着いたのか分からなかった。
 あきらめきれずに電話をかけようとしたが、番号が分からない。
 とりあえず、自分も帰ろう。家で番号を調べて電話をしよう。心配なら、明日直接見舞いに行けばいい。
 そこまで考えて、真澄も近くに停めてある車に乗り込んだ。









 真澄はいらいらしながら指の背でデスクを叩いていた。こつこつという音が部屋中に響く。
 昨日はよく眠れなかった。帰宅してすぐに電話番号を調べ、かけてみたがマヤは出なかった。もう寝ているのか、と思いそのときはそれ以上電話をしなかった。
 朝からマヤに何度か自宅と携帯、両方に電話をしたが、出てこない。もう午後の7時だからいくらなんでも一日中寝ていることはないと思い、つい先ほども電話をしたが伝言サービスの機械音が虚しく耳に響いた。メッセージは入れたがちゃんと聞くかどうか不安だった。
 マヤは病院に行っているのか、それともあの男と会っているのか・・・。
 いつの間にか大きくなったどす黒い塊が胸につかえている。そんな気分だった。仕事をしても胸ポケットにある携帯が振動しないか、デスクの上にある電話が鳴りはしないかと、気になって仕方がない。
 細川という男、一体何者なのか。あの演劇一筋のマヤが熱を出していても会いに行く男・・・。
 身元は確かだとは思う。真面目そうな男だった。こちらの身分を明かしても、不審な挙動はなかった。
 今日マヤに会うか電話でそれとなく尋ねれば、少しはどういった関係か分かる・・・。分からなければ、聖に頼むという手もある。

 真澄は壁にかかってある時計を見た。終業時刻はとっくに過ぎているが、通常よりはずっと早い。しかし、気になって何もする気になれなかった。
 デスクから離れて隣室で無造作にコートを羽織り、水城に声をかけ、退社した。









 マヤのマンション前に車を停め、エントランスまで走って雨を避けた。コートに付いた小さな水滴を手で払ってインターフォンを鳴らしたが、反応がなかった。スーツの内ポケットから携帯電話を取り出し、かけてみたがマヤは出てこない。
 真澄は腕時計を見た。もうこの時間では病院だって閉まっている。入院した、ということでない限り家にいる可能性が高い。あの男に会っていなければ・・・。しかし「知り合い」というあの男の言葉を信じるなら、今日も、まして体調の悪いマヤに会うことなどないはず・・・。
 部屋にいるとしたら、インターフォンや電話に出られない程具合が悪いのか。まさか、入院したのでは・・・。
 真澄はマヤのマネージャーに電話をかけた。マネージャーからは昨日早退した後何度か電話をしたが出ず、マヤからの連絡も一度もなかった、という答えが返ってきた。
 入院するならマネージャーに連絡が入ってもいいはず・・・。では、そうではなくやはり部屋に・・・。
 管理人に事情を話して開けてもらおうか、と真澄は考えた。もしマヤが肺炎にまで罹っていたとしたら、一刻を争う。

 真澄はエントランスに入ってすぐ左にある管理人室に向かった。
 管理人に事情を説明してオートロックの自動ドアを開けてもらう。管理人も一緒に、マヤの部屋に向かった。
 6階に着いて「北島」とプレートが入ったドアまで行き、念のためドアの横にあるチャイムを鳴らしノックする。
 管理人とふたりでしばらく耳を澄ませるが、物音一つ聞こえなかった。
 「開けてみますね」と管理人が言い、鍵を開けた。

 リビングは昨日見たグレーのコートや濡れているバスタオルが椅子にかけられているほか、開かれたままの台本がテーブルの上に置かれて雑然としていたが、人の気配はなかった。
 キッチンもシンクに飲み残したマグカップが置かれているほかは何もない。  念のため真澄は寝室やバスルームといったプライベートな所にもドアをノックしてそっと開いたが、マヤはいなかった。
 マヤは外出しているようだった。自分の心配のし過ぎか、と真澄は無意識に詰めていた息を大きくはいた。管理人に謝罪し、部屋を出た。
 しかしマンションを出て車に乗り込みエンジンをかけると、また別の不安が頭をもたげてくる。
 マヤは無理をしてまで昨日、細川に会いに行っていた。まさか、今日もあの男と一緒に・・・。
 マヤの携帯に電話をかけようとして・・・、真澄の手は止まった。

 フロントガラスから黒髪の女性が見えたためだった。

   昨日と同じ感覚に襲われた。いや、昨日よりもっと酷い。
 それでも目は執拗に道路の反対側に停めている前方の車内の様子を追っていた。
 街灯の少ない暗闇の中でその車は室内灯をつけているせいか、異様にはっきりとふたりの男女の姿が浮かび上がっている。
 真澄に気づいた様子はなかった。真澄の車はライトをつけていなかったのでふたりは気づかないのだろう。

 ・・・駄目だ、マヤ、細川とかいう男にそんなに無邪気に笑いかけるのは・・・。
 そう声にしたつもりが半ばうめくような音しか唇からは漏れなかった。

 真澄は無意識に身を乗り出してふたりを見つめた。
 細川が何かを指差し、マヤがそれを見てまた笑った。真澄にはそれが何かは分からない。
 マヤが少し咳き込んで、細川が何かを言った。マヤが微笑みながら首を振る。
 焦燥感に駆られながらなおも見つめるとマヤが身じろいでいた。シートベルトを外しているのか。少し慌てた様子だった。細川がそれに気づいてマヤの方に身を乗り出した。

 
 ・・・よせ! やめろ!! マヤに近づくな!! マヤに触るな!! 

 マヤは、俺の・・・・・・

 俺の・・・・・・・

 

 声にならない叫びで頭は割れるようだった。喉は渇き、身体が思うように動かせずひたすら前を凝視していたが、視界に入る何もかもが意味を成さなかった。マヤの動きさえも。




 どのくらい時間が経ったのか我に返ると、マヤは車から出て雨を避けて走っていた。

 真澄の車の脇を通り越してマンションのエントランスに入って行く。

 のろのろと真澄が振り向いたときにはもうマヤの姿は見えなかった。



 真澄はゆっくりと前に向き直った。

 細川の車はとうに走り去り、正面には暗闇が戻っていた。



 雨がフロントガラスを叩く音が聞こえた。 




 拳を握ってハンドルに叩きつけた。

 クラクションが大きく鳴った。だが、その手を緩めなかった。


 「・・・俺の・・・・・・、何だと言うんだ。俺は・・・・・・」


 車から降りてマンションを見上げた。雨の振りが酷くなっていた。後から後から降り注いでいる。
 前髪から雨が滴り落ちる。コートが変色し、靴の中まで濡れた。身体が冷え切り、衣服が身体に張り付く感覚しかなかった。
 それでも6階にあるマヤの部屋から視線をそらせず、冷たい雨が降りしきる中を立ち尽くしていた。








04.05.2006




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