![]() written by 咲蘭 . story 5 : Maya 朝の下り電車は、誰も口を開かない。駅のホームですれ違う上り電車が息も出来ないほど混みあっているというのに、こっちの電車はぽっかりと空いている座席がいくつもある。通勤電車と呼ぶには、どこか間が抜けていて、油断すると知らずに眠気に襲われてしまう。窓の外は大きな川がのんびりと流れていて、橋の上特有の揺れと大きな音が響いていた。今日の天気は晴れのち曇り。 目の前のサラリーマンが、ばさりと渇いた音を立てて、新聞のページを捲って裏返しにした。意識を持って読まなくても、否応なく目に入ってしまう文字はある。 『大都グループ、ロジスティクス部門で米国UPL社と戦略的業務提携』 その見出しの横には、恰幅の良い白人男性とがっちりと握手する速水さんの写真が載っていた。自信に満ち溢れた笑顔。 昨日の速水さん。 モノクロームの速水さん。 元気なんだ。あんなふうに。 今日もきっと速水さんらしく、堂々と生きているんだ。 とても嬉しいことだと思った 震える右手が、左手首を掴んだ。 ![]() 「今日の妙なはしゃぎっぷりは気味悪い」 衣装合わせも気分良く、通し稽古でも役柄に新たな発見をして、浮かれて帰り支度していると、有吉さんは容赦無くそんなことを言う。あたしは、つい吹き出してしまう。なんだってこの人は、こうも無防備なところを狙い撃ちするんだろう。有吉さんの口元が笑っている。 「もしかしてケンカ売ってます?」 「若干」 ぷくくく…。へんな人だ。 「みんなでメシ食いに行くんだ。北島さんもどう?この後、仕事とか入ってるの?」 「…入ってないです」 「売れっ子のクセに」 「入れてないんです。同時にいろんな役を平行して演じれないんで」 「ストイックな憑依型だから」 なぜか有吉さんが得意気に言う。 「…全力投球型だから」 その言い方が気に食わなくて、わざと言い直す。有吉さんは、喉の奥でくくく…といつものように笑って、それじゃ、いまはオレの相手役に全力投球ってことでよろしく、先行ってるよ、と歩き出す。あたしは、慌てて散乱していたタオルやペットボトルをショルダーバッグに詰め込んで後姿を追いかけた。 ─── ストイックなまでに役にのめりこむ姿は、傍で見ていて痛々しい。 でも、同時にとても羨ましいと思う。 羨ましい? ああ、そこまで夢中になれるものがあるということが。 速水さんだって、ストイックに仕事してるように見えますけど。 それは夢中とは違う次元だろう。 きみの芝居に対する姿勢とは違う。 おれはきみがいつでも羨ましいと思ってる。 へんなの。 …速水さん、やけに素直なんですね、今日は。 いつもは、意地悪ばっか言うくせに。 たまには、悪くないだろう? 二人で過ごしたあの短い期間は、あたしにとっては永遠だ。 あれはいったい何だったんだろう。 二人を知らない人が、あの頃のあたしたちを見かけたならば、もしかしたら恋人同士なのだと誤解してくれたかもしれない。 紅天女を手に入れた秋に始まって、初冬には終わってしまった短い時間。いや、なにも始まってなどいなかった。何の言葉もない。手を繋ぐこともない。触れ合うことなどない。けれども、二人を取り巻いていたのは、確かな安心と息苦しいほどの濃密な空気。 幸せだった。 だから、あたしは今日も左手首に金色の鎖を巻き付ける。髪を掻きあげれば揺れるように。腕を伸ばせば流れるように。あの時間さえ忘れなければ、いつまでも幸せなのだという象徴として。 Every Sha-la-la-la Every Wo-o-wo-o Still shines 突然、耳に飛び込んできた透明な女性ヴォーカル。 「あ、北島さんが映ってる」 有吉さんの指差す先には、商店街のレンタルショップのビデオ映像。 Every shing-a-ling-a-ling That they're startin' to sing So fine 「去年、北島さんがやってた連ドラだ」 「ほんとだ…。なんか改めて見ると恥ずかしいもんですね…」 それは、主演したドラマの主題歌だった。その歌声はあまりにも透明で、心の中の一番柔らかくて弱い部分に、やさしく心染み渡っていくから、どうしたって口ずさんでしまう。あのドラマを撮っていた頃は、それはもう、いつでも頭の中に流れていた。 「見てたよ、オレも。連ドラに嵌ったの、久しぶりだった」 「…ありがと…」 「いつかこの人と共演したいって思ってたら、案外早くに舞台での共演が決まって、実はすごい嬉しかったんだ」 「え?」 「北島さんのこと」 有吉さんは、ポケットに手を入れたまま、人の顔も見ずに、そんなことだけ言い残して共演者が待つ居酒屋に入っていく。 季節は流れていく。滞りなく。全てに於いて平等に。 ─── Every Sha-la-la-la Every Wo-o-wo-o fufufu…fufu… くっくっくっ…。肝心な部分がハミングで誤魔化されてるぞ。 なっ!いいんです。イメージですから、イメージ! 英語、ヒアリング苦手だっただろう。 うっ…。ヒアリングどころか、ぜーんぶ苦手でした。 もうっ、そんなに言うなら、速水さんが歌ってみてくださいよっ。 なに? 人のこと笑った罰です。 ………さわりだけだぞ…。 はいはい。 ………When I was young I'd listen to the radio Waitin' for my favorite songs When they played I'd sing along It made me smile… …すごい…。 凄くない。 ……おわり? 終わり。このぐらいで勘弁してくれ。 う〜〜〜〜、ケチ。でも、なんで歌詞まで完璧に覚えてるの!? 速水さんって、そういうことまで得意なんですねぇ。 いっそ自分がモデルとか、歌手とかでデビューしたほうが、 よっぽど大都芸能のためなんじゃないですか? 何を莫迦なことを。 だって、声もいいし。音程も発音も完璧だし。 見た目も、まあ、いけてるし? そこまで手放しで褒めていただいて光栄だよ、チビちゃん。 うぅぅ、なんか悔しい。 くっくっく。 でも…。 うん? ……もうちょっと聴いていたかったな…。速水さんの歌声。 食事帰りの散歩道。夜風に揺れていた速水さんの前髪。歌を口ずさむ唇。そっけないようでいて、でも、やさしくて滑らかな、低い歌声。少し照れたまなざし。すべては過ぎ去ってしまった時間の中だ。 二度と取り戻せない時間の中。 自ら終着点を作ってしまった時間の中。 速水さんは、今を、生きている。 モノクロームの向こうで。 はるか、とても遠い、モノクロームの向こうで。 10.17.2006 |
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「YESTERDAY ONCE MORE」
Written by Richard Carpenter & John Bettis |