![]() written by lapin . story 4 : Masumi 顔を上げると、そこに武者小路寿美麗が立っていた。 そうとしか言いようがなかった。もちろん俺は武者小路寿美麗とは初対面だ。でも、それは武者小路寿美麗でしかありえなかった。 武者小路寿美麗は、濃紺に白の細い縦縞が走っている、仕立てのいいピンストライプのパンツスーツを身に着けていた。パンツの裾から、尖った靴の先が確信に満ちた表情で俺に向けられている。マノロ・ブラニク。完璧な井出達を支えているのは、細身で長身、背筋がすっと伸びたバランスのいい体だ。激務にもかかわらず、体調管理も体型管理も完璧というタイプだった。 それはいい。服装も化粧も文句の付け所はない。完璧だ。 ただ、そう、ただ…ほっそりとしているわりに堂々とした肩の上に載っている頭を俺は凝視した。 形のいい頭を取り巻くように、巻かれた髪の束がいくつも載っている。殻に閉じこもったカタツムリをずらりと並べたような異様な光景だった。ずっと昔、どこかで似たような髪形を見かけた記憶がある。世界史の資料集かもしれない。 「武者小路寿美麗と申します」 固まっている俺に構うことなく、つかつかとデスク脇に歩み寄ると、武者小路寿美麗は名乗りを上げた。名刺を交換する。美しい動作、聡明で鋭い眼差し、整った顔立ち…どうしようもない違和感。信じられないことに、俺は完全に呑まれていた。 「早速ではございますが、本題の方に…」 「ちょっと待ってくれ」 まずい。このままでは、完全にこの女のペースだ。おやじの思うツボだ。ちらちらとカタツムリを眺めて感心している場合ではない。 「はい」 美しいアーチを描いている眉を僅かに顰めると、武者小路寿美麗は口を噤んだ。 「武者小路寿美麗さん」 「はい」 「あなたにお話しなければならないことがあります。あなたが今日いらした事情はおおかた察しがついていますが、単刀直入に申し上げて、お引き取り願いたい」 武者小路寿美麗はぴくりとも表情を変えなかった。見事だった。 「理由をお聞かせ願えますでしょうか?」 冷ややかな声音だった。 理由?俺が帰れって言ってるからに決まってるだろう! そう叫びたいのを堪えて、俺は唇の端を歪めた。 「理由ですか?それは、あなたのお力を現在必要としていないからですよ。さあ…」 「…そうでしょうか?」 癇に障る調子だった。机の角を見つめたまま、武者小路寿美麗は淡々と続けた。 「本当に私の力を必要とされていらっしゃらないのでしょうか?あるいはそうかもしれません。けれど、私も『帰れ』と言われて『はい、そうですか』と5分で帰るわけには参りません。子供の遣いではありませんから。速水社長のおっしゃるとおり、私が本当にここに不要な人間か、それとも何かお役に立てることがあるのか、判断していただくまでのお時間をいただけないでしょうか。三日でかまいません」 三日もいるのか!?冗談じゃない!判断するまでもない。帰れ。今すぐ帰れ。 たぶん顔に出ていたのだろう。武者小路寿美麗は見る見る挑戦的な目付きになると、僅かに顎を突き出した。俺も数ヶ月に一度くらいしか見せない、不機嫌指数マックスの顔を隠そうとしなかった。忌々しいことに相手はまったく怯まなかった。小学生のケンカのような様相を呈し出した頃、ノックが響いた。 「失礼いたします」 水城だった。 「社長、役員会議のお時間です。…武者小路様もご一緒に」 にこやかに水城に頷いてみせると、武者小路寿美麗は当然のように席を立った。俺に挨拶もせずに。 まあいい。代表取締役に睨まれながらコンサルタント業なんてできるわけがない。三日どころか三十分で音を上げるに決まっている。役員会議であの狸どもに絡まれるのもいい勉強になるだろう。俺が手を下すまでもない。日々、自分が感じているストレスを他人が味わうところを想像して、俺は小さな歓びを覚えた。我ながら程度の低いことだった。 ![]() おかしい。 俺は内心汗を掻きながら、ぐるりと周囲を見渡した。俄かには信じられない光景だった。相好を崩してうんうんと頷く者、ぼおっと見惚れる者、厳しい顔つきを崩さないまでも、しっかりと耳を傾けている者…。狸たちが、人間に化けていた。いや、今まで人間が狸に見えていたのか? 俺は隣の武者小路寿美麗を盗み見た。デスクの上で両手の掌を合わせ、すっと背筋を伸ばして、ひとりひとりの顔を順番に見つめながら淀みなく話し続けている。資料の内容は完全に頭に入っているようだった。 俺は役員会議が始まった直後の様子を思い出していた。ほんの30分前だが、まったく雰囲気が違っていた。下世話な好奇心と無関心が合い半ばし、お世辞にもいい雰囲気とは言えなかった。予想通りだった。いつもの狸たちの反応だ。 「マンハッタン・コンサルティングから参りました、武者小路寿美麗と申します」 冷笑。常務が横柄に顎を動かして応えたくらいで、ほぼ完全に無視。 「最初に皆様にお詫びしなければなりません」 そう切り出すと、武者小路寿美麗は椅子を引いて、いきなり頭を下げた。そっぽを向いていた営業本部長も思わず身を乗り出していた。それはそうだ。何事かと俺も思った。 「誠に申し訳ございません。なんだあの偉そうな女は、速水社長の隣に当然のように座って何者だ、と皆様さぞかしご気分を害されていらっしゃることと存じます」 思わず苦笑。図星を言い当てられた面々はばつが悪そうにしながらも、武者小路寿美麗が次に何を言い出すか興味津々という面持ちだ。掴みはOKという感じだった。 「無理もございません。私がここにいる必要はないのですから。大都運輸は実に素晴らしい企業です」 呆気にとられる面々。俺も思わず武者小路寿美麗の顔にまじまじと見入ってしまった。この女、さっきと言っていることが違う! それから、武者小路寿美麗は具体的な数字を挙げながら、いかに大都運輸が優れているかを説明した。この席にいる人間なら、誰だっていつまでも聞いていたくなるような耳に心地いい話だ。しかも、武者小路寿美麗の調査は完璧だった。どこから入手したのかと聞きたくなるようなデータが惜しげなく披露され、分析は緻密で、考察は鋭かった。武者小路寿美麗が極めて優秀なコンサルタントであることは疑う余地がなかった。 「では、おまえはここで何をしているのかと、そうお尋ねになりたい方もいらっしゃるでしょうね?」 武者小路寿美麗がぐるりと周囲を見渡しながら尋ねると、すっかりほだされた狸たちはにやにや笑いながら頷いた。 「私がここにいる理由はただひとつ。現在の大都運輸の地位をますます磐石なものにするためです。極めて優れた業績を上げていた素晴らしい企業が、業界内の熾烈な競争に敗れて消えていくケースは、残念なことに非常に多いのです」 飴と鞭。武者小路寿美麗は巧みに両者を使い分けて、あらゆる方法を駆使して狸軍団を懐柔した。認めざるを得ない。この女はやり手だ。俺は内心舌を巻きながら、武者小路寿美麗の華麗なテクニックを見ていた。 「…ご清聴ありがとうございました。最後に皆様にひとつお願いがございます」 いたずらっぽそうな表情になると、武者小路寿美麗は続けた。 「実は、こちらにいらっしゃる速水社長に、三日で成果を上げられなかったら帰るようにと申し渡されております」 急に引き合いに出されて、俺はむせそうになった。狸どもの視線が俺に集中する。 「私も何とか追い出されないように踏ん張る所存ですが、ぜひとも皆様のご助力をいただきたく、何卒よろしくお願い申し上げます」 武者小路寿美麗が頭を下げると、拍手が湧き起こった。狸軍団 VS 武者小路寿美麗は、武者小路寿美麗の圧勝に終わった。日頃、俺を目の敵にしている狸どもは、これで武者小路寿美麗に全面的に肩入れするだろう。武者小路寿美麗は実にしたたかだった。社内の勢力図はとっくにお見通しというわけだ。俺は思わず溜息を吐いた。 ![]() 夜の道はどこまでも続いている。 暖かな密室に守られていることを感じながら、俺は静かな住宅街の中を走り抜ける。ひとりで車を運転しているとき、俺は落ち着いた満ち足りた気持ちになる。過不足はないと感じる。俺と車と道。それに夜。規則正しく色を変える信号をいくつも越えながら、このままどこまでも走って行けるのだと思う。もし、それだけを望むのなら、それはいつでも可能なのだ、と。 暗い住宅地の中に、不意に明るい光が見えた。速度を落としながら通り過ぎると、カフェのようだった。水色に塗られた木の窓枠、細長いテラスに並べられた木の椅子とテーブル。青い夜の中に黄色い光がぽっかりと浮かぶ様は、ゴッホの絵を思わせる。確か「夜のカフェテラス」。 車はあっという間にカフェの前を通り過ぎたが、ゴッホの絵といま見た映像が重なり合い、しばらく俺の目の前にちらついていた。今度、あのカフェでコーヒーを飲んでみようか。そんなことをふと思ったりした。普段は無音で車を走らせることを好むのだが、気づくとラジオの電源に手が伸びていた。なぜかは自分でもよくわからない。音楽が聴きたい気分というわけでもなかった。急に手持ち無沙汰になったのだ。 『…それでは次のリクエストです。東京都世田谷区にお住まいの「43巻まだ?」さん、26才ほか、大勢の方からいただきました。カーペンターズで「Yesterday Once More」です』 あの曲だった。ピアノが奏でるイントロを聴きながら、俺はハンドルを握っていた。赤信号で減速し、一時停車する。 ………When I was young I'd listen to the radio Waitin' for my favorite songs When they played I'd sing along It made me smile… 速水さん…速水さん… ねぇ、速水さんってば! もう、ちゃんと人の話聞いてます? あのね、速水さん、私ね… 速水さん… 固く目を瞑ってまた開くと、信号は青に変わっていた。前を向いたまま、アクセルを踏むこんだ。過去が遠ざかっていく。 10.13.2006 |
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「YESTERDAY ONCE MORE」
Written by Richard Carpenter & John Bettis |