Concerto

  written by lapin  .


 story 8 : Masumi



















 不思議な日がある。
すべてが繋がっているような日だ。そんな日は、どこへ行って何をしても、結局同じところに辿り着いてしまう。ばらばらの出来事を貫くテーマが、無数の変奏を繰り返しながら、ずっと耳元で奏で続けられる。
 そんな日だった。  









 「いいお店ですね」

 窓際の席に座ってそう言うと、まだ若いのに落ち着いた物腰のマスターがにっこりと微笑んだ。控えめで謙虚でいて、人好きのする笑顔だった。

 「コーヒーとサンドウィッチを」

 豆の銘柄を指定できたので、迷わずブルーマウンテンを選び、少し考えてからツナとケイパーのサンドウィッチを選んだ。サンドウィッチの種類も豊富だった。

 ランチタイムをとっくに過ぎているからだろう、客はまばらで、抑えたボリュームでヘンデルが流れている。水色の枠に縁取られた大きな窓の前を、自転車に乗った主婦がゆっくりと通り過ぎる。幅の狭い出窓には、鉢植えがぽつんと置かれていた。薄い黄色の鉢に植わった幸福の木。すっきりとした眺めは清潔で、窓辺に漂う空気は静謐そのものだったが、どことなく寂しくもあった。ひどく落ち着く寂しさだった。

 「お待たせしました」

 見るからに美味しそうなサンドウィッチと香り高いコーヒーが運ばれてきた。手を付ける前から、時々ここに来よう、と俺は決めた。偶然通り過ぎたあの夜から、この店はなぜだか俺に訴えかける。すべてが初めてなのに、しっくりと馴染む。

 「当店は…初めてですか?」

 コーヒーを誉めると(想像していた味よりも遥かに繊細でうまかった)、マスターは少し躊躇してからそう尋ねた。自分からはあまり客に話しかけないタイプのようだった。

 「ええ。実は先日初めて通りかかったんですが、それ以来ずっと頭の隅に引っ掛かっていて。深夜だったんですが、こちらの外観がゴッホの絵にそっくりで。『夜のカフェテラス』という絵なんですが。一度中を覗いてみたいとずっと思ってたんですよ」

 マスターは驚いたような、うれしいような、この男には似つかわしくないほど大仰な表情をした。

 「そうですか…。いえ、実は最近、他のお客様がまったく同じことをおっしゃったものですから。しかも、まさに今お客様が座っていらっしゃる、その同じお席で。そのお客様もブルーマウンテンしか頼まれません。そんなことがあるんですねぇ」

 しゃべり過ぎたことを恥じたのか、他の客の話題など出したことを悔やんだのか、マスターはすぐに恐縮しながら引き下がった。頼んでもいないのにブルーマウンテンのお替りまで出てきたから、逆に申し訳ない気がした。

 同じ席に座り、同じものを頼み、同じ光景を見て、同じ感想を口にする客。

確かに不思議だが、ありえないことではない。面白いような、むず痒いような、でも温かい気分で俺は店を後にした。        









 次の打ち合わせまで、まだ少し時間があった。目的地の近くにある公園に行くと、俺はベンチに腰を下ろしてタバコを取り出した。ゆっくり大きく吸い込み、心行くまで香りを楽しんでから、深く長く吐き出す。単純な動作を繰り返しているだけだが、とても自由だった。頭上に広がる秋の空。涼しい風。

 これでいい。

ふとそう思った。好きなタバコを吸う。それだけのことに幸せを感じる俺は、たぶん小さな人間なのだろう。でも、それでいい。この一服のために傷つけた人も、落胆させた人も、ちゃんと覚えている。決して忘れることはないだろう。結局、こうしてひとりでいることの意味を、それは何のためだったのか、代償を負ってでもどうしてもやらなければならなかったこと――人生は映画でもなければ小説でもない。ハッピーエンドは万人に約束されたものではないし、人は結果のためだけに行動するわけじゃない。後悔なんてしていない。ただ、少し寂しいだけだ。
 そこまで考えて納得すると、俺はベンチから立ち上がった。

 西日が斜めに射している。
 ガラスと鉄とコンクリートでできた街は、容赦ない光に照らし出され、疲弊しきった赤茶けた姿を露呈している。どことなく末期的な高層ビル街を抜けると、スーツ姿に混じってジーパンやTシャツの軽装が目に付き始め、気づくと若者の集団に取り囲まれていた。全員が同じ方向に向って規則正しく進んでいる。少し考えてから、打ち合わせ場所のオフィスビルに劇場が隣接していたことを思い出した。

この客層から見て、地下の小ホールで小劇場系の劇団が公演でも打っているのだろう、と俺は考えた。懐かしかった。頻繁に舞台に足を運んでいた頃。仕事のためと言いながら、そんな表層的な目的以上に深い動機が常にあった。近づきたい。近づけないなら、せめて近しいものの近くにいたい。同じ世界の空気を吸いたい。触れたい。言葉にするとひどく陳腐で、顔を覆いたくなる。でも、単純なことだった。一緒にいたい。

―――速水さん?
―――チビちゃん、おめでとう。
    実は自分のことのように嬉しいんだ。
      とても信じてもらえないだろうけれど。

君は自分の夢を叶えた。自分の生き方を一度として曲げなかった。 それがどれほど稀有なことか、君はきっと考えもしないのだろう。

だから君に恥じないように生きたいと、願った。

  ―――俺にとって、紅天女はきみだけだ。
     この先、何があっても。

君は小さく微笑んだ。シャンパングラスの中で明滅する灯りを見つめながら。 君は気づいていたのだろうか。あれは愛の告白だった。

―――俺はいつでも羨ましいと思ってる。
     そこまで夢中になれるものがあるということが。

舞台の上の君を、ブラウン管の向こうの君を、銀幕に映る君を、すべての君を見つめていたいと思った。そして、何よりも、隣で笑う君をずっと見ていたいと願った。それはあまりに大それた望みだったのだろうか。ひょっとしたら叶うかもしれない、と思ったこともなかったわけではないけれど。あれはどうしてだったのか聞きたいと思ったとき、君はもうどこにもいなかった。俺はまたひとりになった。

Those were such happy time
And not so long ago
How I wondered where they'd gone.......

ほら、今でも覚えているあの古い歌。おかしいだろう?思い出すたびに君の声が頭の中に響くんだ。音程も歌詞も笑ってしまうほど自己流で出鱈目な君の歌。でも、なぜだか泣きたくなる。

And the good times that I had
Makes today seem rather sad
So much has changed

君は今どこで何をしているのだろう?

prrrrrrrr.........

”社長、今どちらにいらっしゃいますか?”

「ああ、いまエントランスを潜ったところだ」

”承知いたしました。そのままロビーを横切って、上りのエスカレーター付近までいらしていただけますか?すぐにお迎えに上がりますので”

「ああ、よろしく頼む」

ガラス張りのロビーの途中で足を止めて振り返ると、高い窓から夕闇が覆い被さるように落ちてきた。取り返すことができない時のように地下へと流れ込むエスカレーターに、西日の最後の一筋が真っ直ぐに射し込む。その流れの上に、マヤがいた。記憶の中のマヤではなく、現在形のマヤだった。マヤの隣には長身の若い男が立っていた。男の手はマヤの肩に触れていた。



―――楽しかったです。いっぱい付き合ってもらって。
     でも、もう今夜が最後ということで。

        速水さんは、どんなときでも、速水さんでいてください。
        だって、速水さんは。  
        あたしの、大事な、紫のバラの人、…だから  

        さようなら 



エスカレーターの流れは速い。次の瞬間にはもう別の人間が同じ場所に立っていて、その人間も瞬く間に運び去られていく。追いつけない。止められない。届かない。

ただ、少し感傷的になってみただけだ。
ただ、少し寂しいだけだ。

ただ、君に逢いたいだけだ。少しではなく。
逢いたい。
逢いたい。

君に、逢いたい。
マヤ。 





prrrrrrrr.........

”真澄様!?すぐにお戻りください!会長が…お倒れになりました”






10.22.2006






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