story 2










大学を卒業した春に、父は脳卒中で倒れて帰らぬ人となった。57歳だった。何の前触れもない、突然の死だった。父は昔の人で、どれほど医者に口を酸っぱくして止められても、酒も煙草も生涯手放さなかった。仕事もこよなく愛していた。母に諭されても、私に咎められても、いつも肩を竦めてただ笑っていた。遣り切れなかった。持病があったわけでもないのに。昨日まであんなに元気だったのに。まだまだたくさん話したかった、私を見ていてほしかった…父に会いたかった。父がもういないという事実を受け入れることがどうしてもできなかった。母は私以上に取り乱して手が付けられなかった。ずっと泣きっぱなしで、「ごめんなさい、ごめんなさい」とうわ言のように繰り返していた。なぜ、父の死に対して母が謝る必要があるのかわからなかったが、私も混乱していた。

「ママ、大丈夫。パパは大丈夫だから。謝らないで」

私の言葉に母は一瞬息を止め、それからさらに激しく泣きじゃくった。

喪失。

それは私にとって初めての体験だった。どうしたらいいのかよくわからなかった。自分の一部がぴたりと時を刻むのを止め、私はそれを成す術もなくただ見つめていた。うまく泣くことができなかった。

彼女が来たのは通夜の人波がちょうど途切れた午後10時頃だった。そろそろ片付けに入るかという時間で、弔問客は他に誰もいなかった。彼女は庭に設けられた受付から顔を上げると、母と私に向かって深々と頭を下げた。母が微かに体を強張らせたのが、隣に座っていてわかった。彼女が焼香を済ませる。テレビで見るよりもずっときれいだった。余計なものが一切削ぎ落とされたような、静謐で研ぎ澄まされた美だった。喪主である母の前までにじり寄ると、彼女は深く頭を下げた。母も頭を下げた。私も一緒に頭を下げた。顔を上げると、彼女はお悔やみを言おうと唇を開きかけ、また閉じた。薄い瞼が震えながら落とされ、声にならない溜息を耳にしたような気がした。そのとき、母が泣き腫らした目を精一杯開き、気丈に背筋を伸ばすと、凛とした声で言った。

「長い間、妻でいさせてくれてありがとうございました。今…、あなたに彼をお返しします…」

それは泣き暮らしていた母と同一人物とは思えないほど強く、そしてどこか悲愴な姿だった。彼女が瞳を見開き、それから激しい動作で頭を下げた。そのまま、ずっと動かなかった。母は私を促すと、そっと立ち上がった。そして、世話役を呼んで通夜の終了を告げると、彼女をそっとしておくように頼んだ。

「ママ、ひとりで大丈夫?一緒に寝ようか?」

母はちらりと微笑み、ゆっくりと首を横に振ってみせた。

「ねぇ、さっきの…」

躊躇いながら口にすると、母はすっと真面目な顔になった。

「藍生さん、そのお話は…。いつか必ずあなたにもお話しします。でも、今はまだ…」

そう呟いた母がひどく苦しそうで、急にとても弱々しく感じられて、私は必死に首を振っていた。

「ごめんなさい、いいの。ゆっくり、休んで。おやすみなさい…」

結局、私が母からその話を聞いたのはそれから数年後だった。葬儀が済むと、私はかねてからの望みどおり留学した。共学の進学校から語学に強い大学に進み、卒業と同時にイギリスの大学院に進んだのだ。母をひとりにしておくのが心配で、私はずいぶん躊躇ったが、結局は母の一言に後押しされるように旅立った。

「お父様が何とおっしゃるでしょう。途中で投げ出すことは恥ずべきことですよ」

確かに父ならきっと言っただろう。

”決めたら途中で投げ出すんじゃないぞ。お父さんは藍生が決めたことなら反対しないから”

そして、

”思うとおりに生きなさい。藍生の人生なんだから”

と。

父は常に私と共にいた。論文の締め切り間近になって論旨がどうしてもまとまらないとき、研究そのものに疑問を抱いたとき、少し付き合ったいい感じの相手にあっさり振られたとき、何もなくてもただただ孤独なとき、私は父と話をした。たくさんたくさん話をした。父はいつも耳を傾けてくれた。口元を僅かに緩めて面白そうな顔をして。

”ねぇ、パパ。私は間違っているの?どうしてうまくいかないんだろう。パパもこんなふうに迷ったことある?パパだったらこういうときどうする?”

父は答えてくれるときもあれば、ただ黙って私を見つめているときもあった。私は父との対話を通して徐々に道を見出していった。時間がかかることもあったが、何とかやっていくことができた。遠い異国の地で。

彼女のことは長い間、記憶の隅に引っ掛かっていた。日本を離れ、父の死を受け入れ、毎日を送ることに必死になっている間も、完全に忘れたことはなかった。時折、あの夜の彼女を思い出した。他の誰とも似ていない、静謐な美しさを。途方に暮れたような、無防備な姿を。彼女は確かに父の死を悼んでいた。他の弔問客とは明らかに違っていた。そして、母は彼女に言ったのだ、父を返す、と。

いつからか、父のことを考えるたびに、同時に彼女のことも考えている自分に気づいた。ふたりは合わせ鏡のようにぴったりとお互いを映し合い、私の頭の中でどこまでも連なっていた。眠りに落ちる前に見る束の間の幻影。

彼女のことはほとんど知らなかった。私はあまりテレビを見なかったし、映画館に行っても邦画はほとんど見なかった。彼女が舞台の世界で圧倒的な評価を得ていることはもちろん知っていたが、特に見たいとも思わなかった。それくらいに、彼女は遠くおぼろげな存在だった。私が彼女に対して関心を持ち、積極的に情報を集めるようになったのは、父の死後だ。上記のような事情で、私は自然に彼女のことを考える時間が長くなっていた。でも、その頃には彼女はあまり活動しなくなっていた。47歳。まだまだ現役でいる年齢だし、芸は少しも衰えていないはずだった。しかし、彼女は20歳のときから毎年演じている代表作をはじめ、ほとんどの活動を休止していた。体調不良でもなさそうだった。だとしたら…頭を過ぎったのは父の死だった。彼女もまた、喪失に囚われて動けなくなっているのかもしれない。そう考えると、それが真実のような気がなぜかした。

意識しているときも無意識のうちにも、ずっと彼女と父のことを考えていたせいだろう、私はいくつかの失っていた記憶を取り戻した。私は古い記憶から丹念に過去の埃を払い、新しい光の下でいろんな角度から眺めてみる。年齢に、あるいは時間に曇らされた目が見誤らないように。その作業は特別で、胸の奥がきりりと痛むようでもあり、自分の中の深い部分がゆっくりと動くようでもあった。それはとにかく私にとって必要な作業だった。なぜ必要なのかはっきりとはわからなかったけれども。

記憶のひとつは、父が亡くなる少し前のものだ。松飾も取れた頃、母が流行の風邪を引いて床に就いた。冬の間は寝たり起きたりの生活を送っている人だから、特に珍しくもない。そのこと自体は何とも思わなかったが、意外だったのは父の行動だった。母が起き上がれない状態にもかかわらず、父は日曜に出かけたのだ。慌しく身支度を整えて、ほとんど家を飛び出すように。仕事上で緊急の用か何かできたのだろう、と最初は思った。でも、直感はそんな他愛のないことではないと告げていた。私は母のもとに行った。母は苦しそうに浅い息を繰り返していた。

「ママ大丈夫?…パパはどこに行ったの?」

母が薄っすらと目を開いた。

「藍生さん?…私なら大丈夫。しばらく休んでいればじきに治まります。お父様は大事な御用ができてお出掛けになりました」

そう答えた母の横顔からは何も読み取れなかった。枕元に腰掛けたまま、私は戸惑いと…もっと激しい感情の片鱗を感じていた。

「大事な御用…。どちらへ?」

母は一瞬黙っていたが、疲れたように瞼を落としながら小さな声で答えた。

「大都劇場へ」

それから私が取った行動はあるいは奇異なものだったかもしれない。母のもとをそっと去ると、私はすぐに大都劇場に向かった。なぜかはわからなかったが、そうしなければならない気がした。車を呼び、運転手を急き立てながら、私の身内を駆け巡っていたのは…不安だった。父を失うような気がした。今すぐ追いかけなければ後悔する。そう思った。大都劇場では、ちょうど恒例の新春公演を行っていた。演目は「紅天女」。到着すると同時に、どっと会場から出てくる人波に押し返された。私は必死で目を凝らしたが、父らしき人影は見当たらなかった。これだけの人の中で見落とした可能性はあまりに高かった。しばらく待ってから、諦めきれずに劇場に入った。ロビーにはまだ観劇後の人々が残っていたが、父の姿は見えなかった。廊下は閑散としていた。そっと扉を押して会場に入ると、私はそのままその場に立ち尽くした。

静まり返った劇場の、場内中央より少し前寄りの真ん中の席に、見慣れた背中があった。空っぽの舞台を見つめながら、父はひとりで座っていた。その広い肩と僅かに癖のある髪が、時折揺れる。その様を、立ち尽くしたまま私は見つめていた。照明に照らされて、父の髪が黄金色に縁取られている。近寄って行って声を掛けることができなかった。父は…声を押し殺して泣いていた。そんな姿を見たのはもちろん初めてだった。見てはいけないものを見てしまった気が、した。音を立てないように踵を返すと、私は逃げるように劇場を後にした。心臓が痛いほどに鳴っていた。寒いのに車も拾わず、夢中で駆けながら、私はふと思った。母は知っていたのかもしれない、と。

あの日、父が座っていた席が伝説の「紫のバラの人」の席だったこと、初演から毎年欠かさず主演女優によって予約され、とうとう最後まで誰も座ることがなかった幻の席だったこと―それをやがて私は知ることになる。

もうひとつの記憶はもっとずっと昔のものだ。私がまだ小学生だった頃だから、15年以上も遡ることになる。ずっと忘れていたのに、あるきっかけからその記憶は忽然と蘇ってきた。どこか夢のような、まるで本当のこととは思われないような朧な記憶だ。

春だった。銀座の街は暖かくて埃っぽく、行き交う人はみな春めいた装いで軽やかに映った。たぶん日曜日だったのだろう。父と母が一緒だった。私は小学校の五年生か六年生くらいで、両親のお供で出掛けるのがそろそろ嫌になる年頃だった。何の用事だったかはもう思い出せない。知人への贈り物を見繕うためだったのか、母が新しい帽子でも必要だったのか、ただふらりと出掛けることにしたのか。とにかく、午後の銀座の街を三人で歩いていた。途中で父が別行動することになった。女性方の買い物には付き合いきれない、というような他愛ない理由だったと思う。ひとりで書店でも覗いてコーヒーを飲んでいるから、ふたりでゆっくりしておいで。おそらく父はそんなことを口にしたのではないかと思う。父と別れてから母とふたりでどこに行って何をしたかはまったく覚えていない。私の記憶が蘇るのはその後からだ。父はホテルのティーサロンで時間を潰していた。その父を私はひとりで迎えに行ったのだった。母は他の用を済ませていたのか、外で待っていたのか…どっちだっただろう。ホテルの中に足を踏み入れると、私は真っ直ぐに父の待っているティーサロンへと向かった。私の姿を見ると、ボーイやポーターが皆にこやかに微笑みかけてきた、ような気がする。

予想に反して、父はひとりではなかった。小柄な女性がひとり、父の向かいに座っていた。知らない人だった。咄嗟に私は足を止めていた。たぶん、露骨に警戒するような顔をしていたと思う。父が私に気づいて立ち上がった。つられたように女性も立ち上がった。少し間を空けて並ぶように立つと、ふたりは私に顔を向けた。ふたりはそっくりだった。うまく言えないが、雰囲気がそっくりだった。ふたりの周りだけ仄かに暗かった。それは、明るい午後の街から急に室内に入って目が眩んだためだけではなかったはずだ。しんと息づく闇の中に、ふたりの輪郭を隈取るように、ひっそりと微かな光が取り巻いていた。父がゆっくりと微笑んだ。彼女も微笑んだ。微笑むと、ふたりはますますそっくりに見えた。それ以上近づいてはならないような気がして、私はその場に立ち止まった。彼女が父に会釈すると、ふわりと背中を向けて立ち去った。父は軽く会釈を返しただけで、特に彼女を見送ることはしなかった。それでも、彼女の姿がティーサロンの外に消えるまで、伏せていた目を上げなかった。

あのとき見た女性は、間違いなく彼女だった。私はそう確信している。

15年以上も前の記憶が蘇ってくるきっかけとなった出来事、それをうまく説明する言葉を私は今も見つけられないでいる。人生は探し物をする旅のようなものだ、と昔何かで読んだ。私は今も旅を続けている。















02.28.2005








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