めぐりあい

  written by 咲蘭  


story 2:初冬のパック

















たとえば。
どこに行ってしまったのか、確かめようと思えば
それは容易にできたことだと思う。

でも、しなかった。
しようともしなかった。

確かめてしまえば、目の前に突き出された事実を厭が追うにも認めざるを得ないことになる。けれど、どうしても紫のバラの人が、真澄が消えてしまったことを認めたくなかったのだと思う。舞台の真ん中で一歩も動けずに座り込んで、再び真澄が舞台袖からバラを持って登場してくれることを、ずっと虚しく待っていたのだと思う。再び登場することは、もう有り得ないことだと、冷たく肌で感じながら。でも、だから、記憶の奥にしまい込んで、忘れたふりをして、そのわりには繰り返し思い出して、懐かしい痛みなのだと嘯いていた。確かめて、認めて、乗り越えることから目を逸らし続けていた。

───マヤさんがご自身でお確かめになるのがよろしいかと。
   日本にお戻りになりますよ、あの方は。
   マヤさんのいる、この東京にお帰りになるのですよ。

確かめるときが近づいている。
今の真澄を確かめて、事実を認めて、それから…。
乗り越えるということは、つまり心の中にいつまでも住み続ける真澄という存在に、今度こそ別れを告げることなのかもしれない。頭のどこかで冷静にそれを知っているのと同時に、マヤは自分の心を簡単に操れないことも、二年の月日で知ってしまっている。















11月に入ったばかりだというのに、12月並みの寒さが空気を覆っている。風は冷たく、枯れ葉も踊る。野外ステージの上にも枯れ葉がくるくると周りながら流れていく。

ANTAEUSの俳優とのドラマ撮影もあと僅かで終わる。日没待ちで空いた時間、共演者はロケバスに暖を取りに入ったが、マヤは一人ロケ場所の公園を散策する。頬を撫でる冬の冷たい風にコートのファーの襟を立て、首を竦めた。ブーツで一歩踏み出す度に、靴底からかさりかさりと枯れ葉の音を感じる。木々の道を抜けると、そこには懐かしい野外ステージがある。ベンチが並ぶ客席も、舞台袖の様子も、あの真夏の夜と何も変わっていない。瞳を閉じると、眩暈のようにあの夏の感覚が蘇る。
客のざわめき、仲間たちの興奮、いたずらものの妖精。

───よくやったな…。上達したな、チビちゃん。

目蓋を開ければ、緑が眩しいほどだった木々が、今は枯れ葉を危なげに揺らしているだけだ。
妖精となって自由自在に飛び回った夏は、もう遥かに遠い。

「…おっしゃるとおり…。ぼくは夜をさまよう浮かれ小坊主…」

人気のないステージに登り、小さく台詞を呟いてみる。囁くような声は、風に吹かれてどこにも誰にも届かずに散っていく。
数日前に聖と会って以来、何をしていてもどこにいても真澄のことばかり考えてしまう。落ち着かない。落ち着かない上に、もう自分の心を無理矢理抑えこまずに堂々と考えてしまっていることは、ほんの少しだけ幸せだと思えるから、なおさら始末が悪い。ずっと頭のどこかで考え続けている。とりとめもなく。行く先もなく。恋はいつでも、どんなきっかけでも、簡単に戻ってしまうからあぶない。

「もうっ!!こんなんでいいわけないっ!!しっかりしろっマヤっ!!」

野外ステージの真ん中で、公園中に響き渡るほどの声で叫ぶ。
ひゅっ…と耳の傍を空気が走り、妖精が通った。

──おいきたっ!地球ひとめぐりがこのパックにはたった40分!

パックだ。
初冬のパック。

「それっごらんの通りっ!!ダッタン人の矢よりも早くっ!!」
「あちらとこちらと自由自在!恋の奴をひきずりまわせ!!」

瞬間、パックの感覚が体中に漲って、マヤは思わず腹の底から懐かしい台詞を吐き出す。犬の散歩をしている初老の女性がぎょっとしてマヤに視線を投げる。

爽快だ。
腹の底からじわりじわりと力が湧いてくるようだ。

両手を広げて大きく深呼吸する。この半年ほど映画やドラマの仕事ばかりしていたから、こんなに大声で台詞を言うのは久しぶりだった。胸を塞いでいた重みが、たったこれだけで幾分軽くなったような気さえする。なんだ。単純じゃないか。
たぶん、きっと、真澄は幸せなんだろうと思う。結婚もして、もうすぐ総帥になるなんてすごいことも約束されていて、それで幸せじゃないわけがない。

……もしも、帰国した真澄と出会うことがあったら、自分はどんな風になってしまうんだろう。真澄の隣には常に寄り添う人がいて、遠くからその姿を見てしまったら…。逃げ出さずに、震えずに、なんとか笑顔を返して、泣きたくなったら誰もいない場所で。真澄という存在を心の中から簡単に消すことはできないけれど、でも、きっと、そのぐらいのコントロールはいくらなんでも出来るはずだ。そこまで弱くない。強気で前向きで、支離滅裂な思考が巡る。妙なテンションだと、自分でも思う。

姿を垣間見られることは、今より幸せと言えるのか。
むしろ残酷なことだと言えないだろうか。

ざわりと木々が風にしなる。
風に靡いた髪が視線を横切ったとき、ふいにANTAEUSが鼻孔を掠めた。懐かしさと胸の痛みを連れてくる香り。
俳優がロケバスを降りて、同じように散歩を始めたか、まさか自分を探しに来たのだろうかとマヤは周りを見回す。

客席の一番良い場所に座るひとりの男性。
見覚えのある面影。
あるどころか、たった今までその人のことを考えていた。

信じられない。

「…なんで…?速水さん…」

マヤはやっとのことそれだけを掠れた声で呟き、あとは表情を固まらせたまま言葉を無くす。
たしかに真澄だった。野外ステージの客席ベンチに腰掛けて、右手の指には煙草を挟み、煙が細く緩やかに一本の線を描いている。秋風に柔らかそうな髪を僅かに揺らしながら、微笑んで、とても優しげに微笑んで、マヤを見ていた。

「速水さん…。どうしてここへ…?」

「きみはおれがたまには公園を散歩したくなるとは考えてくれないのか?」

胸がざわめく。痛い。

「……ご…ご冗談を…。ずっと姿を見せなかったくせに…」

笑う。真澄が笑う。とても楽しそうに、軽やかな笑い声で。
わからない。いったい真澄が何を考え、何のためにここにいるのか。もう、昔のように何かを企んでいるとは思わない。だからこそ、なおさら、わからない。

真澄が煙草を消して立ち上がる。近づいてくる。足取りにためらいは無い。ステージのど真ん中に突っ立ったまま、一歩、一歩、真澄が近づいてくる姿を見ている。真澄はステージの直前に来ると歩みを止め、マヤを見上げる。トレンチコートの裾が風で揺れる。

「ひさしぶり」

「…おひさしぶり…です…」

「元気そうだな」

「…それほどでも、ないですが」

マヤのとぼけた回答に真澄はますます可笑しそうに笑う。

「お預けされていた喧嘩でもしてみるか?チビちゃん」

ぽろりと涙が一粒落ちる。泣くつもりなど無かったから、マヤは自分で驚いて瞬きをして、だからまた、ぽろぽろと涙が落ちていく。お預けにしたのは、自分じゃないか。

「なにしに来たんですか。もう、あたしに用なんて無いでしょう。あ…あたしは、もう、紫のバラが届かなくても、ちゃんと女優しているし、紅天女も守ってる。速水さんなんて、芸能社の社長さんでも無くなって、もっともっと凄い人になって、あたしと喧嘩なんてしてる場合じゃなくて……綺麗な奥さんまでいて、……もう、あたしに用なんて無いはずなのに…」

全然だめだ。コントロールなんて、これぽっちもできてない。情けなくて、ぽろぽろこぼれていく涙も止められない。真澄は少しだけ意外そうな顔をする。それから、トレンチコートのポケットに入れていた左手を取り出し、マヤに向けて手を広げてみせる。

「残念ながら、おれには綺麗な奥さんはいないんだが」

大きな手のひら。長い指。
左の薬指に、その印の指輪は無い。

「…なん…で…?なんで…速水さん…りこん…しちゃったの?」

「いや、おれは誰とも結婚してないよ」

「うそっ!だって、テレビでは結婚したって…!?」

「マスコミの伝える情報が、全て正しいとは限らないだろ」

だんだん腹立たしくなってくる。なんだってこの人は、こんなに穏やかな顔してそこに立っているんだろう。結婚していないって、いったいどういうことなんだ。
変わらぬ香りを漂わせて。変わらぬ笑みで!変わらぬ声で!!

「もうっ!わけわかんないっ!!二年も姿を見せないで、結婚してないってどういうこと?速水さんが結婚したって信じてたから、あたし、紫のバラを抱えて、勝手に終わりにされたときだって、もう、速水さんは、結婚しちゃう人だって思ってたからっ!!」

怒る筋合いじゃない。自分が怒る筋合いじゃないことは、頭のどこかでよく分かっているけれど、脳を通過しない感情だけの言葉が次々と飛び出していく。

「好きな人がいたから」

「え…?」

「婚約者ではない人を愛していたから」

マヤに向けて開かれていた左の手が、人差し指を残して畳まれ、人差し指がマヤを指す。指鉄砲が真っ直ぐに、マヤの心臓を射抜いた。

「きみを愛していたから」

痛い…。
射抜かれた心臓を両手で押さえる。

キミヲ アイシテイタ カラ?

今、耳に届いた言葉を理解するには、
二年の時間は長すぎて、一瞬では短すぎる。
初冬のパックが惚れ薬でも間違って振りまいているのだろうか。

「…な…にを…言って…るの…?」

真澄は、マヤの心臓を射抜いた左手で、柔らかな前髪を掻き上げ苦笑する。

「そんな困った顔をするな。別にきみに今すぐなにかしてくれと言っているわけじゃない。そうじゃなくて、ただ気持ちを伝えたかっただけだ」

真澄はそう言うと、マヤに背中を向けステージに寄り掛かる。マヤは混乱したまま、とぼとぼと真澄の傍に行き、ステージの端に腰掛ける。背の高い真澄の目線と、ステージの上に座るマヤの目線がほとんど同じ高さで、同じ方向を眺める。真澄の隣に座ると、あの懐かしい香りがして、何度息を吸ってもその香りがするから、マヤは胸がいっぱいになって空を見上げる。
夕暮れの風にざわめく木々。
西の空には、真澄と一緒に眺める眩いほどの夕焼け。

「二年も…何してたの…」

「島流しの刑に処されてました」

「島流しって…」

真面目な顔で変な事を言う。真澄は大都グループの中枢部に移り、意気揚々と海外に赴任したのではなかったか。

「結婚式直前の秘密裏婚約破棄で大都グループを未曾有の危機に陥れた罪のため、危機によって発生した負債を上回る利益を上げるまで、ヨーロッパ、中近東、南米の拠点でコマネズミのように働かされてました」

その言い方がおかしくて、思わずマヤはくすくす笑ってしまう。真澄がコマネズミとは。

「やっと笑ってくれたな。ひさしぶりだよ、きみの笑顔を見るのは」

真澄のなんの憂いもない嬉しそうな顔。自分が笑うと真澄が喜んでくれる。心臓が締め付けられて苦しくて、マヤは泣きたくもないのに、やっぱり涙が込み上げてきて、それを押さえようとするから酷く歪んだ顔になってしまう。

「紫のバラを終わりにして、どこか行っちゃって…。もう、もしかしたら一生逢えないかと思ってた…」

下を向いて涙を隠そうとするマヤを、真澄はマヤの顔を伺うように黒髪に手を伸ばす。

「おれに逢えないことを悲しんでくれていたのか」

こくりと頷く。嗚咽が込み上げてきて無理に抑えるから喉が痛い。

「……きみが悲しんでくれるとは思ってもみなかった。…すまない。きみを悲しませるつもりは無かった…」

真澄の手が何度もマヤの黒髪を撫でる。その手から伝わるぬくもりは、あの別れの日と同じだけれど、今日はもう離れることなく、何度も真澄の指が髪を梳く。

「自分の人生から絶対に逃げてはいけない時があると思った。きみに紫のバラを捧げ続けた日々を否定するつもりはない。ただ、それを前提としてきみに向き合いたくなかった。婚約を破棄して、それに伴う責任も果たして、紫のバラの人としての自分を終わらせて、それから…」

真澄は一旦言葉を止めて、瞳の奥から真っ直ぐにマヤを見つめる。
それはとても澄んでいて、マヤは瞳に吸い込まれるかと思う。


「それから、ひとりの男として、もう一度、マヤ…
              きみとめぐり逢いたかった…」


抑えることは無理だった。込み上げてきた嗚咽とともに、涙が後から後から溢れて止まらなくて、マヤは真澄に縋り付く。

「待ってた…!速水さんにもう一度逢いたかった!あたしこそ、ずっとずっと速水さんが好きで、好きで……逢いたくて…死にそうだった…」

「マヤが…おれ…を…?」

「好き…好き…好き……。もう、どこも行かないで。勝手にどこか消えたりしないで。お願い…速水さん…」

真澄も泣き声のマヤを抱き締める。

縋り付いている真澄が、もし幻だったら、こんなに恐ろしいことは無い。信じられないことばかり言う真澄は、本当は幻で、次に瞳を開いた時、もしも冷たい風だけが吹き抜けていたら、もう、たぶん息をすることすら出来なくなる。しゃくりあげながら、マヤは真澄の背中を髪を必死に抱き寄せる。どこにも行かないように。もう、消えてしまわないように。

「どこにも行かない…。ずっときみの傍にいたい。いつか、きみを抱き締めることを夢みて、莫迦な男は二年もきみに逢わずに過ごしてきたんだ…」

涙をたっぷりと含んで見つめるマヤに、真澄は額と額を優しく当てる。頬が触れ合い、温かな吐息が交わる。「好き…」小さく呟くマヤの掠れた吐息を合図に、ゆっくりと互いの唇を求め合う。最初は優しく、やがて呼吸さえ出来なくなるほどに。


紫のバラという舞台の幕は確かに降りてしまったけれど
でも、今、抱き締め合う目線は同じで、
マヤが真澄を、真澄がマヤを
想う温度も湿度も密度もきっと同じで、
これから、同じ舞台を歩いていけることだけは
抱き締め合う互いのぬくもりで、なによりも信じられると思った。















「聖に会った?…いや、聞いてない」

「そうなんだ…。聖さん、速水さんが結婚してないこととか、何にも教えてくれないで、ただ、自分で会って確かめるべきだって…」

「今日、成田に到着したとたん、あの公園に行けと言ったんだ、あいつは。プレゼントがあるとかなんとか、わけのわからんことを言って」

「……それって、あたしの…こと…なのかな…」

「それ以外無いだろうな…。…まったく…あいつ…」

「…知ってた…?速水さん…今日、誕生日なんだよ。聖さん、ちゃんと知ってたんだね」

「………まいった…」

「おめでと…速水さん。あ、ね…もしも、放っておかれた二年の間に、あたしが誰かの恋人になってたら……。速水さん、どうするところだったの…?…なんて聞いてもいい?」

「内心…きっとそんなことになっているだろうと思って、気が気じゃなかった。本当はね」

「残念ながら、売れ残ってましたが…」

「もし、きみが他の誰かの恋人になってたら…」

「…うん」

「力づくでも奪って、連れ去った…かな」


ふたたびめぐり逢った真澄のキスは
ANTAEUSと煙草と真澄の溶け合った
真澄だけの香りがする。

マヤの愛している、真澄だけの香り。















fin







10.10.2005
01.14.2006(転載)








 あとがき 


アンドレ・ギャニオンのピアノは、その調べがもう既に物語を持っていて、聴いているだけでもう充分、言葉はいらない…という感じがします。そんなアンドレ兄さんのピアノをお題にパロを書くなどと、蛇足も甚だしいわけですが、好き勝手に妄想を働かせてみました。
ANTAEUSは、私がたぶん永遠に忘れられない香りです。
で、オチが聖の誕生日プレゼントでした〜ッつーのは、どうなのか(^^;;)。まあ、誕マスだし。

お題曲の「めぐり逢い」は、アンドレ・ギャニオンのいくつかのアルバムに収録されています。ネット上でも音楽配信サイトやCDショップのサイトで視聴ができます。
たとえばこちら。(←「@Victor Entertainment」が別窓で開きます。いきなり音はしませんのでご安心を)
ちなみに私はこの「impressions」というアルバムをBGMにして書きました。このアルバムには子リスちゃんのお題曲「風によせて」や私のもうひとつのお題曲「雨ふりのあとで」も収録されています。
いえいえ、決して発売元のまわし者ではございません。ほほほ(^.^)

† Träumerei †の作品制作秘話(?)レポはこちら から


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