雨ふりのあとで

  written by 咲蘭  


story 1 : 天気雨












青い空から突如なんの予告も無く降り始める細かなシャワー。
緑色の芝生で美しく着飾り談笑にいそしんでいた人々は、散り散りになり小走りで建物に向かう。真澄も右手をかざして身近な木の下に身を寄せ、空を見上げた。日射しが雨の飛沫に反射して、きらきらと七色の光を放っている。

「きれーい…。宝石が降ってるみたい」

透明な声。振り向くと、薄紫色のシルクのドレスに身を包んだマヤが、真澄の木陰に逃げ込んで来たところだった。マヤはラベンダー色のドレスがよく似合う。黒髪に雨の粒が煌めいて眩しい。雨の音に包まれる。マヤは真澄に気付き少し驚いた顔をする。それから、何か言いたげに口を開いたが、結局何も言わずにドレスの滴を払う。真澄はマヤから視線をそらして、また空を見上げた。

「結婚披露宴をガーデンパーティにするというアイディアは悪くないが、突然の雨にはお手上げだな」

給仕たちがテーブルの料理を慣れた手付きで屋根の下に運び込んでいく。

「そうですね…。でも、きっと、すぐ止みますよ。だってこんなに青空が見えてますもん。天気雨は、すぐ止むって知ってました?」

「…ああ、そうらしいな」

苦笑する。

「梓さん、どうしてもガーデンパーティが良かったんですって。小学生の頃に出席した従姉妹のお姉さんの結婚式がガーデンパーティで、それがとっても素敵で、自分も結婚する時は絶対にそうするって決めたって言ってましたよ」

いつもより早口なのは、たぶん二人だけのこの時間に少し困っているからだとマヤは思う。

「そうか。長年の夢が叶ったわけだな……。まあ、結婚式は女性が主役だから、女性の意見を優先するに越したことはない」

真澄は左手で軽く濡れた前髪をかき上げる。真澄の柔らかい髪が長い指に絡まり流れていく。長年の夢が叶ったとは、何にしてもおめでたいことだ。今日の結婚式の主役は大都芸能所属の主にテレビドラマで活躍している女優で、脚本家との数年の交際の上で今日晴れて結婚したのだった。結婚式には大都芸能の関係者を始めとした仕事絡みの出席者も数多い。真澄は来賓として、マヤは同じ事務所に所属する女優として、先のドラマの共演者として、それぞれ出席していた。真澄の婚約者は談笑していた知人たちと建物に逃れたらしい。

「君は…?君も結婚式に憧れがあったりするのか?」

「え…?」

ふいの問いに、マヤは表情を変えずに真澄を見上げる。それから、質問の意味を一度考えて、困ったように眉を寄せて笑う。

「それが、ぜーんぜん。自分があんなウェディングドレスを着ているところなんて、まったく想像できないです」

「想像できない?それは…また。普通は白いドレスに憧れたりするもんだろう、女の子ってのは。まあ、チビちゃんがあんな格好をしたら、ちょっと驚きだがな」

木の葉の間から雨の滴がリズミカルに零れる。

「言ってくれますね。速水さんこそ、もう少しで式じゃないですか。…さて、ちょっと雨脚が酷くなってきましたよ。このまま二人でここで雨宿りするか、建物まで一気に走るか。速水さん、どうします?」

白いドレスに憧れるなんて、そんな普通の恋だったら幸せなのに。マヤは、ほんの瞬間だけ眉根を寄せたが、真澄の言葉にまともに反応することを避け、逆に楽しげに問いかける。
雨を楽しんでいる風情のマヤの弾んだ声。どうするかなどと、答えは決まっているのに。

「…すぐ、止むんだろう?」

不思議そうにマヤが見る。

「天気雨だからな」

黒髪を白い肩で揺らしてマヤがくすくす笑い出す。

「そですね。じゃあ、ここは二人でがんばりましょうか。こんなに空は青いんだもん」

緑の芝生で煌めく水滴。

しばしの沈黙。

滴の落ちる音。

マヤの横顔。

やがて雨の粒が小さくなる。
もうじき雨が止む。止んでしまう。

「速水さん…。あたしね、今になって北島マヤで良かったなって思うんです」

マヤが前を見据えながら、呟くように語り出す。

「うん…?」

「小さい頃からあたしなんて何にも出来ない人なんだって思ってて、母さんにもおまえはダメな子だって言われて、周りにもそう思われて…。でもね、あたしには演劇があって、いろんなことがあって、今、こうして女優として生きていられることをとても幸せに思ってるんです」

「ああ、そうだな。君は押しも押されもしない最高の女優だ」

雨が止む。
目の前の景色から透明な雨の斜線が消えていく。
マヤの言葉が胸に痛い。

「ありがとうございます…。速水さんにもそう認めてもらえて、やっぱり嬉しいです。…だから、…だからね、ずっと北島マヤとして、女優として精一杯この先も生きていきたいなって思うんです、速水さん」

真っ直ぐに真澄をみつめるマヤの眼差し。
その眼差しを余裕を持って受け止められるほど、穏やかではいられない。同じ真っ直ぐさでみつめ返せるほど、自分は強くは無いと真澄は思う。眉を寄せた苦しげな笑顔でしか応えられない。
マヤは真澄の心中を知ってか知らずか今の真澄とそっくりな笑顔を返すと、小走りで木陰から駆けだしていく。
建物から天気雨が止んだことを知った人々が庭に降り始めていた。
遥か遠くから、婚約者の視線を感じた。















紅天女となったマヤに、真澄はいつものように匿名で紫の薔薇を贈り、匿名で祝いのメッセージを書いた。ほどなく聖を通じてマヤが紫の薔薇の人宛に書いた手紙を受け取った。 もう半年も前のことになる。手紙はたった一度しか読めなかった。繰り返し読むには辛すぎた。白い便箋に載った少しくせのあるマヤの水性ボールペンの文字。きっとあれを書き終えるまでに、何度も文章を考え直しては、破いて、新しい便箋に書き直したのだろうと思うと、不覚にも泣きそうになった。

マヤが幸せであればいいと、ずっと思ってきた。マヤが夢を掴むために藻掻いていたならば、手を差し延べてあげたかった。マヤの幸せのためならば、自分にできるあらん限りの力で叶えてやりたかった。
マヤに速水真澄こそ紫の薔薇の人だったと気付かれていたことに酷く驚いた。そして、その事実をマヤが負の感情で捉えていないことにも驚く。だが、それ以上に、マヤが紫の薔薇を乗り越えて自立していこうとする姿に、激しい寂寥感を覚え、何をもってこれから生きていけばいいのかさえわからなくなって、その自分の情けなさに腹を立てた。

何のために生きてきたのか。
義父への復讐のためだけか。
マヤへの密やかな自己満足的愛情表現のためだけか。
あまりにも脆く、あまりにも閉塞的だ。

手紙を握りしめて、眩暈に耐えた。


『親愛なる紫のバラの人へ

いつも私を見守ってくださったこと、心から感謝しています。
おかげさまで、最初は遠い夢でしかなかった紅天女を演じることができました。この感激の全てをあなたに捧げます。あなたが見守ってくださらなかったら、いろいろなご支援をしてくださらなかったら、今、私は女優ではなかったと確実に言えるのです。

紫のバラの人に、いつか直接お礼を言うことが、もう一つの私の夢でした。でも、それは叶いそうにないので、お手紙で言わせてください。本当にありがとうございました。

私もあなたの幸せを心からお祈りしています。
例え、あなたがギャングのボスでもヤクザの大親分でも、それから、いつも私をからかったり意地悪ばかり言っていた芸能社の鬼社長だとしても、感謝の気持ちと、私があなたの幸せを祈る気持ちに偽りはありません。あなたが私をあらゆる角度から見守ってくださったことにも偽りはないと信じます。

今まで紫のバラをいただいたことは、私の最高の喜びと誇りです。
でも、これからは紫のバラはいただかないと決めました。
私は、もうバラが無くとも大丈夫です。
これからも胸の中に咲き続ける紫のバラに恥じない立派な女優になれるよう生きていきます。

ありがとうございました。
あなたの永遠の幸せをお祈りします。
 
北島マヤ』



マヤはなにも知らないのだと真澄は思う。
肝心なことは、何も知らないのだと。
真澄の幸せは、マヤが生きていること。
マヤが輝いていること。マヤが笑っていること。
願わくば、紫の薔薇の人に向けたものではなく、この速水真澄としての自分に、全ての笑顔を向けて欲しい。
願わくば、いつも傍にいて、言葉を交わし、守って、生かして

───抱き締めたい。


胸の中の深い闇に冷たい雨がしとど落ちる。
いつか晴れることを約束された天気雨ではない。
永遠に降り続く、冷たく、重い、雨。 雨。 雨。
マヤの手紙は白い封筒の中で、息を潜めている。


愛している。
愛している。






10.08.2005
01.22.2006(転載)




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