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後編

written by 子リスさま













あのプラネタリウムの出来事依頼、マヤと真澄の関係は少し変わった。所属事務所の社長と看板女優。
紅天女が発表されてから、マヤは紅天女の上演権と共に大都芸能にやってきた。そして真澄は、婚約を延期した。



 



真澄は、マヤを自室である社長室に呼び出した。

「チビちゃん、紅天女成功おめでとう」

 相変わらずマヤをチビちゃんと言った。

「ありがとうございます速水さん。いえ社長」

「いや速水でいいよ。しかし、社長と言えるとは君も成長したな」

「もう速水さん!」

「くっくっく・・・」

 真っ赤になって頬を膨らませながらそっぽ向くマヤに、笑いがこみ上げる真澄。  表面上は変わっても、マヤと真澄の会話の雰囲気も相変わらずだった。

「あれから1年だな」
 真澄は、今までの会話がウソのように静かに言った。

「はい、もうすぐ1年経ちます」

 横を向いていたマヤが顔を上げた。見つめあう2人。2人の間の空気が張り詰める。この1年、2人の間に何度か訪れた“キン”と耳が痛くなるような空気だった。それは、相変わらずと思われている関係が、2人にしか分からないところで、微妙に変化しているものなのだろうか。

「覚えているか?」

「あっ・・・」

 真澄の問いかけに、瞬間、体が震えた。真澄の食い入るような目に圧倒されそうになる。マヤは息苦しさを感じながら、それでも

「はい」

と、答えた。

「そうか」



 




 その日は晴天には恵まれていたが、ひどく蒸し暑かった。

 1年前に約束した公園の野外劇場では、今年も、劇団月影と、一角獣によるチャリティー公演が行われる予定だった。それは、マヤがパックを演じた「真夏の夜の夢」の成功に目をつけた大都芸能が主催者となり、毎年行われている公演だった。
 もちろん大都芸能には金銭面ではなんの利益もないが、社会貢献をしているということを世間に示すにはまたとないチャンスだったし、若い演劇人を育てるという点においても、主催者となるにはデメリットよりもメリットの方が大きかった。
 今年は、久しぶりに劇団月影と一角獣に出るということでも話題だった。彼らは小劇場会で、今もっとも注目される劇団になっていた。



「もしもし麗、明日がんばってね。アタシ見に行くからね」

 青木麗と暮らしていたアパートは、マヤが大都芸能に所属したとき、お互い別のマンションに引っ越した。それ以来、こうして時折電話をしたり、お互いのマンションを行き来したりしている。

「うん。でもあんた今や時の人だからなあ」

 紅天女を演じたマヤは、世間一般に知られる存在となっていた。

「大丈夫だよ!」

「まっあんたは、素顔はただのお嬢さんだから誰もわからないか!」

「もう麗ったら」

 麗の言うとおり、舞台上では光のオーラを放つマヤも、舞台を降りれば、誰も“北島マヤ”とは分からないほど、どこにでもいる普通の人だった。

「ごめん、ごめん。ありがと、気をつけておいでよ」

「うん」

 まるで姉妹のような会話をした。麗としたかった会話はこういうものだったのだろうか。
 麗との会話を終えたマヤは、期待と不安の入り混じった複雑な思いを抱えて、一人ため息をついた。

「はあ、明日かあ・・・」



 



 野外劇場には開演のずいぶん前から、開演を待ちわびた人で溢れかえっていた。このチャリティー公演は、マヤ達が宣伝するのに苦労していた頃とずいぶん変わって、野外劇場の名物になっていた。
 開演1時間も前に到着した真澄は、野外劇場から少し離れたベンチに座ってマヤを待っていた。


 そのころ、マヤはというと・・・。

「ひゃ〜!うわ〜寝ちゃったよ。何やってンだろアタシって!もー時間がないよ!!」

昨日の夜から一睡もできなかったマヤは、あろうことか、もうすぐ支度するとういう時間になってうとうととし始めた。そしてあわてて起きたときには、開演10分前という絶望的な時間だった。


「皆様、本日はご来場いただきまして誠にありがとうございます。本公演はチャリティー公演となっております。公演に満足されました暁には、是非皆様のご恩情を賜りますようよろしくお願いいたします。それでは最後までごゆっくりご観劇ください」

 出演者のアナウンスで舞台が動き出した。
 そんな時間になっても、マヤはまだやって来なかった。
 真澄は、客席から少し離れた場所から、マヤがやってくると思われる方を見つめながら、不安だけが増幅していくのを感じていた。客席の笑い声も彼には届かない。

 あの時、「覚えていない」と言ったら、きっぱり諦めるつもりだった。たが、彼女は「覚えている」と言った。その言葉に賭けた。覚えているのに来ないということか・・・。

(マヤ・・・。俺はやっぱり無理なのだろうか?それでも俺は・・・)

 真澄の苦悩と失望を他所に、舞台は中盤に差し掛かったところだった。舞台狭しと駆け回る出演者達。盛り上がる客席。ちょうど主人公とその恋人が悪者に追われている場面になったところで、にわかに雲行きが怪しくなってきた。それでも舞台は続いていく。
 
「あ〜もう。と、とにかく行かなきゃ!ホント、アタシのバカ!!」

 今日はめったにしないおしゃれをして、真澄に少しでもかわいいと思われたい、という思惑は見事に自分のせいで裏切られた。こんな大事なときに居眠りをした、自分のバカさ加減にあきれ果てる。自分が疎ましくさえ思える。
 唯一の救いは、今日のために着ていこうと思っていた服が、昨夜のうちにしっかりアイロンをかけてすぐに取り出せるところに掛けてあったこと。なおかつ、それが肩の広く開いたワンピースで、頭からかぶれるということだった。これで少しは時間短縮になる。
 お化粧もばっちりといきたいところだが、そんな時間は今のマヤにはない。とりあえず、ご愛用のピンクベージュの色の淡い口紅をさっと引いて、サンダルを引っ掛けて玄関をでようとした瞬間に

“ゴロゴロ、ザー・・・”

「うわ!雨!!」

 マヤはそこら辺にあった黄色い傘を掴んで飛び出した。



「キャー!雨」

 突然の雨に、客席にいた全員が雨をしのげる場所を探して、ステージやら木の下などに避難した。しかし雨は一向にやむ気配がなく、しばらくして公演中止が伝えられた。
 誰もいなくなった公園では真澄だけが、何かに取り残されたように一人ベンチに座っていた。どこかで雨宿りするでもなく、雨に打たれながらマヤを待った。しかし、待っているとはいえ、諦めの気持ちの方が大きかった。時間はとっくに過ぎている上に雨も降っている。いくらマヤといえども公演を続けているとは思わないだろう。もうマヤが来る理由はない。でも動こうとしなかった。他人から見たらこの忌々しい雨も、今の真澄にとっては全てを浄化してくれるやさしい雨だった。マヤを忘れさせてくれるような気すらした。

 ふと思い立ったようにポケットの中を探り出した。そこにはいつもの四角い感覚があって、真澄を思いのほか安心させた。その四角い箱の中身を手に取る。そしておもむろにライターで火をつけた。
“シュッシュ・・・”
 雨のせいでかなかなか火がつかなかったが、何回目かにやっと付いた。
 そしてゆっくりと吸い込んだ。それは真澄も驚いたことだが、それを何回か吸っているうちに心の波が穏やかになっていくのを感じた。

(俺ってこんなにタバコ依存症だったのか!?)

 しかし、何回か吸っているうちに、穏やかになった先が見えてきた。それはどうしようもない孤独感だった。

(マヤ、君に会いたい・・・)



skyblue挿絵



 そのころマヤは、真澄の待つ公園に向かってひたすら走り続けていた。それは周りから見たらとても奇妙な光景だった。女の子が髪を振り乱して走っている。雨はどしゃ降りなのに、閉じられた傘を手に握り締めている。しかし、マヤはそんな周りの目を気にすることなく、ただ真澄に会いたい一心で走り抜けていった。

(速水さん!!)

 マヤが公園に着いたときは、すでに人影はなく、舞台も上演していなかった。辺りを見回しても真澄がいる気配はなかった。

(当たり前だよね・・・)

 マヤはますます自己嫌悪に陥りながらも、とぼとぼと公園を歩いた。そして何歩か歩いたところでふとベンチに目をやると、そこには真澄が雨に打たれながら座っていた。

(あっ・・・)

 真澄を見つけたマヤは、涙で見えにくくなる目をこすりながら急いで駆け寄った。
 真澄はその足音が聞こえたのか、顔を上げるとマヤが息を切らして走ってくるのが見えた。真澄は思わず立ち上がってマヤの方へ走り出した。

「マヤ!!」

「速水さん!!」

“はぁ、はぁ、はぁ、はぁ”



 お互い手の届く距離に近づいた二人は、肩でしばらく息をしながら、何も言わずに見つめ合った。その沈黙を破ったのがマヤだった。

「あの、あの、ごめんなさい、ごめんなさい。なんだか寝坊して、一生懸命走ってがんばって、えっとそれから・・・あっ!」

 マヤは、全て言い終わることなく、真澄の腕の中に閉じ込められた。

「いいんだ、もういいんだ」

「速水さん、速水さん。ひっく・・・」 

腕の中でしゃくりをあげて泣くマヤを心底愛しいと思った。そして真実を告げることに何のためらいも感じなかった。

「マヤ、俺に約束を果たさせてくれ」
「あっ・・・」

 マヤを自分の腕から解放した。

「あの時、この公園の湖で俺は君に質問した。もし紫の薔薇の人が自分にとっていやなヤツだったらどうすると」

「はい」

「そうしたら君は、紫の薔薇の人だったらどんな人でも好きになれると言った。それから俺はもう一つ質問をしようとした。結局言えなかったが・・・」

「速水さん・・・」

「俺はあのとき言えなかった質問をする。マヤ答えてくれ」

 こくりとうなずいたマヤを見た真澄は言った。

「もし紫の薔薇の人が俺だったらどうする」 

 マヤは顔を上げて真澄を見つめた。

「アタシは、アタシは・・・」

「いや、すまない、これじゃあ卑怯だな」

 そう言って微笑んだ真澄の表情は、マヤが今まで見たどの真澄よりも頼りなげで、儚い少年のように映った。

“はぁ・・・”

 真澄は一つ大きく息を吐いた。

「マヤ、紫の薔薇の人は俺だ・・・そして君を愛している」

(あぁ・・・)

 真澄を見上げていたマヤは、こらえ切れずに真澄の胸に顔を埋めて泣き出した。

「速水さん、今でありがとうございます。それと、あの、アタシもアナタが好きです」

「えっ!?」

 真澄にはマヤが泣いているのと、あまりにも小さな声だったのでよく聞き取れなかった。

(今の言葉・・・俺の間違いでなかったら!!)

「まっマヤ!もう一度言ってくれ。今の言葉もう一度言ってくれ」

「もっもう一回ですか?恥ずかしいんですけど」

「たのむ。もう一度だ!」

「速水さんが、好きです・・・」

「あぁマヤ・・・」

 真澄はマヤを抱きしめる腕に力を込めた。

「あっあの、速水さん苦しいです」

 真澄のあまりの力の強さに、腕の中からマヤが悲鳴を上げた。

「あっ!すまない」

 そう言って腕を開放すると、マヤははにかみながら真澄を見上げた。その仕草があまりにもかわいかったので、真澄は思わず抱きしめた。マヤは再び腕の中。

「あの、速水さん?」

「まあ、いいじゃないか。今度はやさしく抱きしめるよ」

「はあ、あのう・・・」

 マヤが真澄の豹変振りに驚いていると、真澄が

「雨上がったな」

 と、言った。

「そうですね」

 マヤは真澄の腕の中から空を見上げた。吸い込まれそうな青空だった。
そうしてようやく真澄の腕から解放された。

「マヤ、ずぶ濡れじゃないか?」

「速水さんだって」

「俺は、傘もささずにベンチで待ち人を待ってからな」

「もう、悪いと思ってます。でもアタシだって、傘も持たずに急いで飛び出して来ましたから」

「えっ?チビちゃんその腕にぶら下がっているものは何だ?」

 真澄が指差した先には、黄色い傘が、全く使ってもらえなかったのを不服としているかのように、憮然とぶら下がっていた。

「あっ・・・」

「くぅ〜ハッハッハッハ!」

 真澄は、お腹を抱えてしばらく笑っていた。

「もう、速水さんそんなに笑うことないでしょ!」

 そう言って頬を膨らますマヤに、ますます笑いが止まらなくなった。

「もう、そんなに笑うなら帰ります」

 ぷいっと横を向いて歩き出すマヤの腕を、真澄は掴んだ。

「放してください」

「だめだ」

 ブンブン腕を振って、真澄の手から逃れようとするマヤを三度抱きしめた。

「もう放さない。そういう君が俺は好きだ」



 



 翌日、マスコミ各社に、速水真澄と、鷹宮紫織の婚約破棄が伝えられた。
本当の意味での理由を知る者は、あの青空だけなのかもしれない。








fin




06.24.2004






あとがき



■子リスさんより

咲蘭さんのマイホーム完成になにかお祝いしなければと思って早数ヶ月・・・
こんなに長くお待たせしてしまいました。親不孝ものです。て親じゃなくてネエさん不幸です。
なんとか、お祝いにふさわしく、晴れやかなものに出来ればと奮闘していたらこんなのができました。
文章は稚拙ですが、気持ちだけも伝わればうれしいです。
ホント「scene」オープンおめでとうございます。



■咲蘭よりお礼♪

うふ。頂き物づいている今日この頃の私♪
かわいい子リスちゃんから、かわいいお話をいただいてしまいました。
最初に読んだとき「こら、完結編だがな…」と。
雨に打たれる真澄、萌え〜(〃▽〃)。
雨の中、息を切らして走るマヤちゃん、いじらし〜い。
そして最後は青空の下で笑顔♪もうっ、最高じゃぁありませんか。
子リスちゃんのガラカメ愛がやさしく降っているような、そんなお話でした。
お忙しい中こんなに素敵なお話プレゼントしてくれて、ホントにありがとう!!
たくさん、お気持ちいただきました〜っ!!






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