|
written by 子リスさま |
「1年後の今日、君がパックを演じたあの公園に来てほしい・・・。」 マヤが真澄にそう言われたのは、紅天女の試演をした日の夜だった。と同時に新しい紅天女が誕生した日だった。 北島マヤと姫川亜弓との間で競われていた紅天女は、試演をし、どちらか優れているものに決定するという前代未聞の形式で行われた。その会場には、演劇関係者を初めとして、各種マスコミ、財界人と多くの人々が詰め掛けた。主なところでは、大都芸能社長の速水真澄、小説家の藤村潤一郎などといった顔ぶれだった。 朝10時から行われた試演は、最初は姫川亜弓、2番目に北島マヤという順番で行われた。日本の演劇至上もう二度と見ることができないであろうと言わしめたほど、両者ともすばらしい試演であった。とういうことは、必然的にどちらが紅天女になるか、審査員の間で白熱した議論が行われたが、結局、審査中にやってきた亜弓の一言で決定した。 「私、紅天女を辞退させていただきます。」 この一言に審査会場が騒然としたことは言うまでもないが、決めかねていた審査員にとっては天の一声だった。 「亜弓さん!」 姫川亜弓辞退を聞いたマヤが、亜弓を見つけて駆け寄ってきた。 「亜弓さんどうして!?」 マヤは食い入るように亜弓を見つめた。その大きくて必死な目を見つめ返した亜弓は、微笑んで言った。 (ん?なんだろこの感じ・・・亜弓さん?) マヤは亜弓の様子に多少の違和感を感じた。 「マヤさん、紅天女はあなたしかいないわ。私にはわかるのよ。それに気付いているでしょ、私の目はほとんど見えないのよ」 「あぁ・・・」 マヤが感じていた違和感はこれだった。マヤを見つめている亜弓の焦点が微妙にずれていたことにようやく気付いた。 「でも勘違いしないでね。これが決定的な理由ではないわよ。目はよく見えなかったけど、耳で聞いて肌で感じて、ああ紅天女はアナタだって思ったのよ」 「亜弓さん・・・」 「じゃあ、私そろそろ行くわね。勝負はこれからよ。私にアナタに負けたことを後悔させないでね」 そう言って去っていた誇り高き女優の背中を、マヤは一生忘れないと心に誓った。 こうして紅天女=北島マヤが誕生した。 そのころ、紅天女の試演を見終えた真澄は、夜の街を一人さまよっていた。すれ違う人に時折ぶつかりながらそれでもなお立ち止まろうとはせず、気付いていないのか、ただフラフラと歩き続けていた。 真澄はマヤを愛していた。誰にも知られることのない思い。知られてはいけない思い。そんな思いを抱えながら、鷹宮財閥の一人娘、紫織との結婚を1ヶ月後に控えていた。 真澄は紅天女の試演を見ながら、やっとの思いで閉じ込めてある思いが溢れ出しそうになるのを必死にこらえていた。マヤ演じる紅天女が向ける愛が、まるで自分に注がれているような幸福感に酔い、そしてふと我に返る。その言葉が自分ではなく、一真役の桜小路優に向けられていると思い知るとき、彼を殺してやりたいほどの嫉妬心に駆られた。 自分には決して向けられることのない愛の言葉。ましてこれから結婚する自分には望むことすら許されない言葉。 マヤへの思いに心が痛くて苦しくて、何度逃げ出そうと思ったか。しかし舞台を見るとそこには愛しいマヤがいて、席を立つこともできずにもがいていた。 海の底にいるような暗くて寒い、深い絶望感、孤独。 (俺は俺自身を殺そうとしているのか?!) 結局、試演を全て見終え、逃げるようにして劇場を後にした。今マヤに会えば自分がどうなるか分からなかった。 そうして夜の街に出てはみたものの、今の真澄には目に見えるものは何も映っていなかった。見えるのはただマヤの顔ばかりだった。紅天女を演じたときの顔。自分に楯突く顔。紫の薔薇をもらったときの輝くような笑顔。どれも真澄にとって唯一絶対のものと思わせた。マヤのいない世界は自分にとって無の世界だった。 (俺はこの先、生きることを許されるのだろうか?) ふと、何気なくビルの電光掲示板の時計を見ると、すでに21時を過ぎたところだった。 「しまった!!」 その場にいるのが耐え切れずにあわてて外へ飛び出したが、街をふらついているうちに紅天女が発表される時間をとうに過ぎてしまった。 「マヤ・・・」 マヤの紅天女を見るまでの真澄は、マヤを支えてやりたくて少しでもそばにいよう。いや、影から見守ってやろうと心に誓っていたのに、それが見終わったとたん逃げ出してしまった。 (ははは・・・) 劇場に向かって走りながら、自分にこんな弱いところがあったと思うと、訳もなく笑いがこみ上げてきた。 劇場に着くと当然そこに人影はなく、発表会場であるホテルに向かった後だった。あわててそちらに行くと、すでにパーティーが始まっていて、マヤが紅天女に選ばれたと知った。 一番大事なときに側にいてやれない自分の不甲斐なさにあきれ果てつつ、ああこんなものだろうなと妙に納得してしまった。自分とマヤが到底結ばれることはありえないし、かえって諦めがついたとまで思った。 「速水さん!」 心地よい声の響きに瞬間心が躍った。その音の響きに誘われるように振り替えると、愛しい人が自分をじっと見つめていた。 「マヤ・・・」 マヤは喜びと不安が入り混じったような顔をして立っていた。ちょっと突付けばすぐにでも壊れてしまいそうなほど頼りなく映った。自分の前から消えてしまうのではないかとさえ思えた。その顔を見たとたん、 (パチン・・・) 真澄は自分の中で何かが弾ける音を聞いた。 (ああ・・・俺はもう、もう・・・だめだ!) 「あの、あたし、あたし・・・」 マヤはそれ以上言葉に出来なかった。真澄の顔を見たとたん涙が溢れ出しそうになってこらえるのに必死だった。真澄はそんなマヤの腕を無言で掴んで、強引に会場から連れ出した。 「はっ速水さん?」 速水は答えない。 「ねえ速水さん、どこ行くんですか!?」 マヤは必死になって問いかけるが、それでも真澄は答えず、黙ってマヤをホテルから連れ出した。 ホテルを出るとすぐに真澄がタクシーを止めた。 「サンレインまで」 運転手に行き先を告げると真澄はまた黙ってしまった。 マヤの腕を掴んでいた真澄の手が、いつの間にかマヤの手を握り締めていた。マヤにはそのことがなぜかとても大事なものに感じていた。 自分でもよく分からないが、おそらく真澄と繋がっている、ということがそういう気持ちにさせたのだろう。 行き先は運転手に告げたことでわかった。しかし、相変わらず真澄は無言で外を見ている。マヤはその真澄の顔を黙って見ている。マヤには真澄が何を考えているのかわからなかったが、少し前に比べてそれほど不安ではなかった。それより、真澄の手が自分に比べてやけに大きいこと、そして自分の手が汗で湿ってきてすごくはずかしこと。そんなどうでもいいことがもやもやっと気になっている自分がいた。 サンレインに着くと、真澄は迷うことなくマヤの手を握り締めたままエレベーターに乗った。 エレベーターを降りるとそこは、サンレインのプラネタリウムだった。 「もうすぐ最後の上映が始まりますので、お急ぎください」 それはリニューアルキャンペーン期間中のレイトショーだった。かなり遅くまでやっているがそれでも最後の上映だった。入ってみると、さすがに夜の22時を回った時間だったので人はまばらだった。 マヤは不思議な感覚だった。今起きていることが夢のような錯覚に陥っていた。ただ、真澄に握られている手から感じる彼の体温が、唯一の真実のように感じていた。 「マヤ・・・」 今まで黙ったままの真澄が突然の名を呼んだ。驚いて真澄の顔を見ると、真澄は星空を見上げたままだった。 マヤはじっと真澄の顔を見た。 「マヤ」 もう一度真澄はマヤの名を呼んだ。 「はい」 マヤが短く答えた。握る手に力がこもる。 「紅天女おめでとう。遅くなったが・・・」 「ありがとうございます」 「本当によかったな」 「速水さん・・・」 マヤは涙が止めどなく溢れてきた。だが、それを止めようとはしなかった。 (速水さんアナタのお陰です!) 心の中で何度も繰り返し、繰り返し。その証が涙であるかのように静かに泣き続けた。 「マヤ、1年後の今日、君がパックを演じたあの公園に来てほしい・・・。」 真澄が言ったのはそれから少し経ってからだった。 「えっ!?」 マヤは真澄が言っていることがしばらく理解できなかった。 「ほら、あの公園だよ」 記憶の先をたどると、マヤの心にさわやかな風が吹いてきた。公園の緑。仲間の笑い声。湖のボート。 「あっはい・・・。でもどうして?」 「真実を告げるよ」 「真実?」 「そう真実だ」 真澄はそう言ったきり、また黙って人工の空を眺めた。 06.23.2004 |
thanks next |