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後編

written by kotoさま













「遅れてすみません」

息を切らしながら駆け込んできた麗に、咎める様子もなくただボーっと紫煙を燻らせていた。結局マヤになんて言っていいか分からず、なんとなく誤魔化したようにバイトだといって飛び出してきてしまった。一張羅の服を着ているのに、ウソは見え見えだ。どうしても話せなかった。アパートの前で行ったり来たりを意味もなく繰り返した、それが遅れた理由だった。


「かまわない。俺が早すぎたんだ」


身体をすっかり預けていたソファから、ゆっくりと身体を持ち上げタバコを揉み消すと、夢から覚めたようにほんの少し微笑んだ。


「向こうに席を用意させている。移動しよう」


夢うつつのような、心ここにあらずという風情だった。会社で、堂々としていた真澄とは重ならないほど、存在感が薄れていた。


「早すぎたって、何時ごろからいらっしゃるんですか?」

「君が出て行ってから・・・割とすぐだな」

「すぐ?!」

「ずっと休みなしだったんだ。一昨日からは家にさえ帰っていないのは本当の話だ。 君がOKしていなければ、今もまだ会社の中にいるはずだ」


速水がさもおかしそうに笑った。


「優秀な社員達が面倒な事をすべて引き受けてくれたんだよ。俺は社を早めに出て、上の部屋でシャワーを浴び一眠りしてきた」


ああ、それで・・・。
麗はぼんやりと真澄の所作を目で追った。手足はこの上なくだるそうに動き、乾いたばかりの水を多く含んだ髪が耳の上で優しく揺れていて、石鹸の香りが漂ってくるかと思うほど艶かしい。


艶かしい!?


そう思った自分に、麗は瞬間で赤面した。




 




テーブルが居並ぶレストランの奥に、小さな個室のように壁に囲まれた部屋があった。椅子は店内のどの椅子より少し幅が広く、肘当てがついて座り心地が良かった。その席の傍に立つと、ボーイが当たり前のように椅子を引き、麗が座るのを待っていた。テーブルにはワインも置かれ、すべてが整えられている。席に着くと、テーブルの上にはあっという間に料理が次々に並べられていった。

君の好みが分からないから適当に頼んでおいたと細く笑いながら、料理には目もくれずワインをあける真澄の正面に座りながら、自分の場違いな服装と雰囲気に気後れして声も出ない。そんな麗を気にもせず、真澄は淡々と思いつくまま喋っている。まだ夢の中にいるような、たゆたいその雰囲気のまま、独り言のようにとりとめもなく呟いていて、麗の存在があまり気になっていないらしくみえた。そのことには気がつかないようにしながら、麗は料理だけを一生懸命に口に運んだ。もっかのところ、真澄は降板になったタレントについての説明を麗に聞かせていた。


「相手はマネージャーってことだから、当然男のほうはくびだろうな。事務所内で、しかもタレントに手をつけたんだ、当然だな」

「当然、なんですか」

ゆっくりと話していた真澄の語気が少しだけ重くなって、聞き流していた麗もつい返事を返してしまう。

「そうだ。商品に手をつけたらお終いだ。
今回の降板もただじゃない。後始末にもかなりの額が動いたんだ。これも本人達がある程度負担する事になるだろう。借金を背負った上にくびになって職なしじゃ、これからが大変だろうな」

「そう・・・ですか。かわいそうというか、なんというか」

「そうだな。かわいそうだが、そういう世界だ」


真澄のその言葉は、何故だか自分に言い聞かせるように言った気がして、その意味を漠然と考える。


「速水さん・・・いえ、速水社長は・・・」

「今日は速水でかまわんよ。君のお祝いだ。硬い話はなしにしよう。明日からはそれなりの節度を持ってもらうことになるが」

「じゃあ、そうします。で、速水さんは商品に手をつけることはないんですか」

「あたりまえだ。社員と違って俺は代表だからな。そうそう軽率な行動は出来ない」

「社長っていうのも大変なんですね」

「温かい御言葉、いたみいります」


微笑を唇の端にのせ、酔っているのかと思わせるほどその目のうつろなさまは、ますますいつもの真澄とは重ならず、麗を混乱させた。


「速水さんにとって商品じゃない女性は婚約者の紫織さんだけってことですか」

「・・・・・」

笑顔が瞬間で消えて、その悲壮さが胸を締め付けた。
なんでだろう、何でそんな悲しい顔をするのだろう。紫織さんという人は速水さんにとってどんな女なんだろう。

「なんかあたし、悪いことでも言いました?」

「悪いこと・・・じゃない。面倒なんでね、思い出したくないだけだ」

「面倒なんですか、結婚って」

「いや、結婚が面倒なんじゃない。結婚なんて俺がいなくても何とかなるものだ」

「速水さんの結婚式に速水さんがいなかったらダメじゃないですか」

「そうか、そうだな」

「今日は速水さん、なんか変ですね。優しかったり投げやりに見えたり。あっ、失礼な事言いましたよね、あたし」

「あぁ、いや、いいよ。おれ自身も疲れているんだろう。無駄話をしているんだ、気にしていない」


マヤが好きになった人というのは、速水真澄ではなく本当に紫の薔薇の人だったのだと改めて思う。大都芸能の会社の中で感じた速水真澄と、たぶん紫の薔薇を送る速水真澄とでは、人が、思いが完璧に違うのだ。今、目の前にいるのは紫の薔薇を選ぶ速水さんのほうなんだろうと思うと合点がいく。意外に人間くさい速水真澄という人物に、麗は違和感と同時に親近感までも感じてしまった。


ホントに、変な人かもしれない・・・でも、思っていたほど悪い人じゃないみたい。誤解させるような事してたのは速水さんのほうなんだけどさ・・・。


「マヤのことなんですけど・・・」


髪がざわりと揺れて、意識が一挙に麗に注がれたのを強く感じた。細胞が覚醒する音まで聞こえそうだ。何だろう。この人の、この感じ。


「紅天女の上演権、マヤが速水さんにあげたって聞きましたけど」


考えないように、思い出さないようにしてきた大切な宝箱を開けるように、ゆっくりと想いながらその扉を開けた。


「あの子の考えていることは俺にはわからない。上演権の事だって、あげるとメモだけ入れて勝手に送りつけてきて、電話にも出ないし、会ってもくれない。実は、まぁ、ついででいいのだが、もし機会があったら君に聞いてみたいと思っていた」

「それ、本当ですか?」

「本当だ。俺には味方が少ないもんでね」

「え・・・なんだ、そういうことだったのか・・・」

「ん?」

「いえ、なんでもありません」


そうなのだ。やけに物言いたげな雰囲気はここから来ていたのだ。優しくて、切ない顔であたしを見ていた。もう・・・。
紛らわしい事はやめて欲しいもんだ・・・。


「何故俺なんだ。あの子が命を削るようにして得た大切な上演権を、何故俺にあげるなんていうんだ?!」

「だって、それは・・・・・・・分かりませんか?」


こんな馬鹿な事ってあるのかと思う。こんなに頭のいい人が、マヤみたいな単純で単細胞の本心がわからないなんておかしいと思う。


「わからない」


この人はわからないんじゃない、とそう思った。理解できないんじゃなく理解したくないのだと。マヤの気持ちを受け止められないから?だってそれじゃ、全然かみ合ってないじゃないか。マヤの気持ちはとっくに走り出しているのに、速水さんがそんなんじゃ建設途中の高速みたいに、空中に浮かんだまま切れているように道がない。行きたい所に辿り着けない高速道路だったら乗らない方がいい。先に進めないなんてそんなの正常じゃない、異常だ。


「マヤのこと、どう思っているんですか。速水さんの気持ちが知りたいです」

「俺の、気持ち・・・?」


初めて対面したような自分自身の気持ちを、どう言っていいかわからないような怯えた瞳の色を一瞬漂わせたあと、まるでそんな事なかったかのように残酷なほど本心をその奥に隠してしまった。

一瞬だった。

酔っていなければ、疲れていなければ、中途半端に昼寝なんかしなければ、その鎧のような仮面は剥がれなかったのだろうと思う。
紫の薔薇を送り続け、マヤを誰よりも応援していた速水さん。その方法はとても賛成できるもんじゃなかったけど、結果、マヤは紅天女になった。誰よりも美しく、荘厳で、マヤにしか出来ない天女が生まれた。


「そうはいっても、試演前にあの子を言い訳できないほどに傷つけたのは俺だからな。会いたくないのも当然なんだが」


そう言って笑うこの人は、なんて無防備に哀しむのだろう。だってマヤはそれがあったから紅天女を掴めたんじゃないか。


「そんな俺に上演権を管理して欲しいと言ってくるなんて思いも寄らなかった。どうしていいのかまったく分からない」


この人にとって、常識や立場は、わたしらが抱えているよりもずっと重くて、大切で。だから自分の気持ちや欲求さえ吐き出せないまま曖昧にどこかに消えてしまうことにさえ気がついていないのかも知れない。でもそんな中で紫の薔薇がこの人とマヤを確実に繋げていたことを考えると、きっとマヤをとても大切に思ってくれているのだと確信に近い感情で身体が温かくなる。

マヤはきっと分かってしまったのだと、なんとなく思った。この人自身が隠しているうちに忘れてしまった優しさや、強さや、弱さを。マヤはいつもあんなボケボケでちょっと変わった子だけど、マヤだからこそ、この人は限りなく素直に、お腹から笑えるのかもしれないとこれも漠然に、なんとなく思った。


「あたしの条件は、まだ有効ですか?」

「条件?あぁ、いいよ。なんでも言うといい」

「マヤと、よく話してもらえませんか。その、本心で」

「本心・・・?!」

「あたし、速水さんが好きです」

「・・・・」

「いやっ、その・・・・そういう意味じゃ・・・」


自分の口走った言葉に信じられなくてどうしていいかわからずに、俯いたままそれでも口だけは動かし続けた。

やばい、あたし、何言ってるんだろう。


「速水さんはいい人です。今まで気がつかなかったけど・・・」

「うれしいよ。君達には嫌われて当然だから」


君達・・・まぁ、いいか。
あぁ、少し笑った。笑ってくれた。これでいい、これで充分だ。


「マヤは速水さんを好きです。ずっと前から、すごくいっぱい速水さんが好きです。って、これ、あたしが告白したって言わないでくださいね」


真澄は何も答えずに、ただ黙って麗の言葉を拾って集めているようだった。どうやら一直線に意味が通じていないのかもしれない。


「速水さん、結婚する前に一度マヤとちゃんと話してください。マヤにはあたしから言いますから。ちゃんと話せって、言いますから」

「今更・・・・遅いだろう」

「結婚したらもっと遅いでしょう。これが条件、あたしからの条件です。マヤと会って話してくれないならドラマ、降りますから」

「それは、きついな」


今度は直球が届いた、そんな手ごたえを、今まで離さなかったワインのグラスをテーブルにやっと置いて、柔らかな髪を避け、額の前に組んだ手に感じた。大きくて、暖かかったその手に。


「マヤを呼んできます。話してやってください。紅天女の上演権、速水さんにあげたかったマヤの気持ち、わかってあげてください。できれば、速水さんの気持ちも素直に、正直に・・・」


一言も言葉を返す余裕も与えず、麗は席を勢いよく立ち上がった。答えは出ている。後はあたしの出る幕はない。二人が話せばそれでいい。何もかも大丈夫じゃないか、まったく。


「ドラマは頑張ります。速水さんの期待に添えるように絶対に頑張ります。今日はご馳走様でした。明日の撮影、朝早いんで。それじゃ」


「青木君」


今日のなかで一番張りのある、お腹に響くような優しい声であたしを呼んだ。振り返ると、今まで見た中で一番優しい顔で恥ずかしそうに(そう見えた)微笑んでいた。


「こちらこそありがとう。明日から頑張ってくれ」

「はい。それじゃ」

「あぁ」


レストランを出て、ホテルのロビーから急いでマヤの携帯に電話をかけた。あたしを心配してくれていた、途切れそうに細いマヤの声を聞きながら、妹みたいに、家族みたいに大切なマヤが幸せになってくれることを、切に願った。


「もしもし、マヤ?うん、わかってるよ、心配かけてごめん。あのね、会わせたい人がいるんだよ、出来れば今すぐ。今から場所、教えるからさ、出ておいで、マヤ・・・・・」












fin




06.01.2004






あとがき



■kotoさんより

何か差し上げられないかと、出来れば「scene」を汚さぬようにと思って頑張ってみたんですが、私の力量からはそんなもん全然叶わず・・・。
何でこの人がというシチュに萎え〜なんですけど(自爆)話だけは長くなってしまいました。すみませーん!!
マヤのよき理解者で女としても家庭的だしいい人なのに、なぜか麗って一生独身貫きそうなイメージで。何故かなぁと気になったらこんなお話が出来ていました。
最後まで読んでくださってホントにありがとうございました。暇つぶしにでもなっていただけたら幸いです。いやいや、さらっと忘れてくださいまーせーねー☆koto


■咲蘭よりお礼♪

他力本願更新がしたいよぉぉぉ…と、甘えてみせたのはつい先日。その頃から書いていたのか、それから書き始めたのかは定かではありませんが、さりげなく遠慮がちにポストに入っていたのは、こーーーんな素敵なお話でした。
麗視点のお話って大好きなんです。マヤを見守りつつ、自ら女の部分をちらっと感じつつ、やっぱり最後はマヤの幸せを願う麗姐。
贈り物のリボンを解いて、一気読みでした。
読後感も暖かく、幸せな気分です。二人の物語がこれから始まるんだな〜って。
kotoさん、こんな素敵な話をsceneに贈ってくださって、どうもありがとうございます!!






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