■□ 夢を想うとき 4 □■


























余計な報告する人はどこにでもいる。心配顔で報告をして、興味本位でこちらの言葉を待っている。紫織は適当にあしらうと受話器を静かに置き、自室の自分の椅子に腰掛ける。


カーテンもベッドカバーも、強い蘭の薫りも、本も流れる音楽も、ここだけは紫織の場所だった。速水の屋敷は、冷たく時が止まっている。リビングも、庭も、夫婦の寝室でさえも紫織を拒絶しているかのようだ。覚悟しての結婚だった。結婚すれば或いは変わるかもしれないと僅かな期待をしていたことは否めないが。
真澄は結婚式の後、見事に屋敷に帰ってくることはなくなった。英介に何事か呼ばれたときだけ英介の部屋に行き、そのままリビングには入らず屋敷を出て行く。


私があの女優にしたことを真澄様は知っている。それまでの慇懃な態度が一変して、明らかに私に対して怒りを表現した。感情を見せてくれたのは初めてだった。無関心な態度に先はないが、それに比べたらなんと進歩したことだろう。憎しみは愛に変わることがある。


里美という俳優が、あの女優と結婚すると宣言したという。その話の前に里美と真澄様が、紫の薔薇の人が云々と言い争いをしていたらしい。

紫の薔薇の人。
記憶から消したい言葉。

鷹宮の娘ともあろう私が、あそこまで卑怯な手を使うとは自分でも信じられない。どこかに良心を置き忘れてしまったのだろうか。幼いの頃から両親や祖父母に慈しまれ、病気がちではあったけれど、友人にもそれなりに恵まれ、愛することも愛されることも知らないわけではない私が。

酷いことをしたと思う。

けれど、あれは婚約者として当然の物思い。真澄様を愛しているからこそのこと。僅かで自分の夫となる人が自分以外の誰かに執着し、その相手も夫となる人に執着する。世にも晴れて認められた婚約者がありながら、妻となる人間に余計な物思いをさせたのは真澄様にも非がある。もともとは真澄様が自分だけを見るようにとおっしゃったのだから。


紫織は、使用人を呼ぶとローズヒップティーを煎れるように言う。必ず、いつも使っているティーセットでと。庭の木々が風で揺れ、葉のざわめく音が聞こえる。紫織の部屋から臨む庭では、遠くを見渡せないほどの木々が風で体を震わせていた。



真澄様は未だにあの女優に固執している。真澄様があの女優に固執するから私も固執する。妻として、夫が興味を持つものには理解を示すべき。あの女優が舞台に立てば舞台を見に行き、テレビに出ればテレビを付ける。


ほっそりとしたたおやかな腕を伸ばし、テレビのリモコンのボタンを押す。
今日は、あの女優の主演映画の初日。どこかでそれが報道されているに違いない。結婚云々も伝えられるかも知れない。


舞台挨拶の様子が夕方のニュースの芸能枠で映し出される。映画の紹介を触りだけ流すと、その後は里美と女優がレポーターに囲まれて何事か聞かれている様子を映し出す。見るたびに忌々しく美しくなっている気がする。初めてあったときは、取るに足らない子供だったのに。たどたどしい物言いや、演技をしていない時のぎこちなさは相変わらずだが、醸し出す空気は既に女だ。


里美の発言にその場は混乱する。あっと言う間にマヤは囲まれるようにその場を連れ出される。カメラはそれを追い、マヤが車に押し込まれる様子まで映し出していた。車に押し込まれるとき、マヤの背中を守っていたのは真澄だった。


女優と俳優の結婚。結構な話ではないか。
真澄様と里美が何を言い争っていたのか詳しく知る由もないけれど、あの場からあの女優一人連れ出したところで二人の気持ちが変わるわけではない。里美という人のあの自信溢れる話しぶりから察するに、彼のひとりよがりではないようだ。あの女優もやっと他人の夫に執着するのを止めたとみえる。あの場を連れ出したのは結局、真澄様の最後の抵抗か…。

紫織の艶やかな口元に小さく笑みが浮かぶ。

早々に結婚してしまえばいい。
あの二人が結婚すれば、真澄様の執着が収まるかもしれない。憑き物を落として、この屋敷に戻ってくる日が近いのかもしれない。

戻ってきたら、その時こそ笑顔でお迎えしよう。この場所こそが、真澄様と私の生きる場所だとお分かりいただくためにも。
いったいどんなお顔でお戻りになるかしら…。きっと、とても落ちこんでいらっしゃるかもしれないわ。案外、強がって初めから笑顔を見せられるかも知れないし。いえ、やっぱり、きっと不機嫌なお顔ね。


「奥様、お茶をお持ちしました。…あら、何か楽しそうでいらっしゃいますね」

「ふふ…そうね、とても愉快だわ」



私が、世間にも認められた真澄様の妻の座を決して手放さないように、あの男も女優の夫の座を決して手放すことはないだろう。




結婚さえすればいい




恋などは不確かなもの…
結婚こそ揺らぎ無いもの…









虚しさなど






微塵も感じたことはない………

























03.23.2004








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