■□ 夢を想うとき 1 □■




















花びらは踊る。
音も無く、つぎつぎと、ひらひらと。

昼間の桜も綺麗だと思うけれど。
だけど
どうして夜の桜はこんなにも妖しく艶があって美しいんだろ…。

雪のように途切れることなく花びらが降る。
空を見上げ、ワンピースの裾を広げながら回る。
花びらと一緒になって。





    きらきら

         ひらひら


       ひらひら
 
             きらきら






「紅天女の次は桜の精か…?」






マヤの足がピタリと止まる。
が、回っていた反動で体勢を崩しよろける。

「おっと…」

真澄の腕が咄嗟に支える。

「…ご、ごめんなさい…」

すぐに離すと思われた真澄の腕がマヤを抱いたまま動かない。



「速水さん…?」



「昔…雪の中、こうして君を抱き締めたことがあったな…」



それが、小さないちごの傘を二人で差して歩いた時のことなのはマヤにもすぐに分かった。

けれど。


「忘れてしまいました」


僅かに笑顔を浮かべてマヤが言う。そうか…と、それ以上追求せずに真澄もまた同じような笑顔を浮かべマヤを解放する。



マヤの左の薬指に輝くダイヤのリング。
真澄の左の薬指にはプラチナのリング。

複雑に絡まり合う二つの想い。

通い合わない二つの想い。



花びらの降る夜に薄紅色のワンピースを身に纏い桜の精になったマヤは、そのまま闇に消えてゆく。

「帰るのか?」

闇に向かって声を掛けると、ちょっと振り向いて、やけに明るい笑顔を返す。


「もう、パーティ苦手なんです。一人ぐらいゲストが消えても誰も気が付かないでしょう〜っ!?社長様、所属女優一人消えますっ。さよ〜なら〜!!」




いつだって腕の中をすり抜けて消えていくんだな…



真澄が小さく呟いたときは、すでに精霊は闇に帰ったあとだった。





















コンサートホールを包む盛大な拍手。
一度舞台袖に帰ったピアニストはその拍手に応えるために、高揚した姿で再びステージに戻る。すべてのことに感謝する笑顔でお辞儀をして、ステージ中央に据えられたグランドピアノの椅子に座る。


マヤの隣には里美茂。
小声で何か囁きあい微笑み合う。


ピアニストが静かにアンコール曲を奏で始める。
優しく穏やかに。
静寂の中に柔らかい温かさのある旋律。


メロディには薫りがある。
決して長くはないその曲のメロディが、閉じられていたマヤの記憶の扉を優しく開く。
ゆっくりと、どこまでも優しく。
あの日の音色と重なり、面影が現れる。
振り返り、微笑んで。
開かれた扉の中から、大切な宝物のような思い出が次々とマヤに話しかけてくる。

抱き締めるように。


込み上げてくる熱い想いが大きな瞳からたった一粒の涙となって落ちた。

その涙を見た里美は、まるで真珠のようだと思う。

















深夜の大都芸能本社社長室。
ふいにノックの音がする。
秘書達は皆、退社したはずだった。訝しみながら返事をする。

「どうぞ」

重いドアをそうっと開けて入ってきたのはマヤだった。

「チビちゃん…」

「こんばんはぁ…、すいませーん…こんな時間に来ちゃって」

時計は間もなく午前0時を迎える。

「いや…かまわないが…」

予期せぬ訪問者に一瞬全身の神経が緊張する。

「速水さん、新婚さんなのにこんな時間までお仕事しちゃって、大変ですねぇ。社長さんって」

「君こそ、こんな時間に一人で出歩いて、君の恋人は何も言わないのか?しかも…君、酔ってるな…?」

「あれっ?ばれちゃった。ふふ〜、ちょっと飲んできたんです。これでも、いろいろ大変なんです、あたしも。…ホントは里美君とピアノなんて聴いてきちゃったんだけど、ちょっと思うところがあって、一人で飲んじゃった。で、誰かと話しがしたくなっちゃって、押しかけた…と」

「なるほど…。チビちゃん一人でも入れてくれる店もあるというわけだな」

「ひっど〜〜い。速水さんだけですよ、未だにあたしを子供扱いするのは…」

子供扱いしたいのではない。黒髪は艶を増し、少し痩せた顎のライン、白い首筋、鎖骨、華奢な手首、軽く締まった口元…。子供扱いしなければ、まともに顔も見られない。マヤはもう子供ではない。匂い立つ女性になった。

「それは失敬。…珈琲しかないが飲むか?」

「いただきま〜す」

「ミルクと砂糖はたっぷりな」

「もうっ子供扱いしてっ!…でも、それで、お願いします」

了解しました、お嬢様。と珈琲を入れる。
ほろ酔い加減の愛する女性が、人恋しい夜に自分にたわいもなく会いに来てくれた。抱き寄せることが出来たならどんなに幸せだろうと思う。子供扱いして誤魔化そうという自分は、なんと滑稽なのだろう。昔、どこかで見たアルルカンのようだ。
二つのカップに珈琲を入れ、応接セットの大きなソファに子猫のように座るマヤの前にひとつ置き、真澄はマヤの向かい側のソファに座る。マヤが温かな珈琲を両手で包み下を向きながら、何気なく話し始める。



「紫の薔薇の人は…」



その出だしに真澄は驚くが、黙って続きを待つ。


「もし、あたしが結婚するって知ったらどう思うんだろう」



「…結婚…、するのか?」


「う〜ん…。そんなふうになるかも、しれない…。てか、紫の薔薇の人は、そんなこと全然関係ないかな。あたしが女優として良い仕事さえすれば、それで満足なのかな。嬉しいのかな…」

真澄の顔に目を遣る。

「ね、速水さんはどう思います?」

その大きな、やや潤んだ瞳に見つめられ真澄は本音を言いそうになる。結婚など許さない。他の誰かのものになってしまうなど許さない…。

「なぜ…、俺に聞く…?」

マヤは小さく笑う。

「いいから。速水さんは、紫の薔薇の人がどう思っていると思います?本当は本人に聞きたいんだけど、だけど名乗り出てくれないから聞けないでしょ。…だから、速水さんは臨時の代理人。ね?委任状なしの代理人」

「なぜ、そんなことが聞きたいんだ…?」

「…あたしも、できれば、すっきりして結婚したいんです。幸せになりたいんですよ。でも、…もし…もしも…。紫の薔薇の人が、あたしの結婚を嬉しく思わないんだったら…、例えば、今まで薔薇を贈ってくれたのは、ただ女優のあたしのファンってだけじゃなくって…それ以上の何かがあったとしたら………」

「あったとしたら…?」



「…結婚やめちゃおかな…とか…」



真澄は黙って煙草に火を付け、細く煙を吐き出す。


マヤは心の中で祈る。否定してください、否定してください…。何を馬鹿なことを、ただのファンに決まっている。女優としていい仕事を続けるんだなって言って下さい…。それで、速水さんの呪縛が解けるはずだから…。今、目の前にいて、こんなにも心は速水さんを求めているけれど、たった一言否定してくれたら…。


真澄はまだ長い煙草を灰皿に押しつけ、マヤを真っ直ぐに見る。その目が好きだとマヤは思う。鋭くて涼しげで、時に誰よりも優しいその眼差しが好きだと思う。その眼差しをいつも自分に向けてくれるのだったら、死んでもいい…


「結婚を迷っているんだろう…。迷っているから、そんなことを言い出すんだ」


「速水さん…」



「だったら、結婚するな。誰とも結婚なんてするな」




「誰のものにもなるな…」









「それが、紫の薔薇の人の代理人としての答えだ…」




























03.19.2004








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