written by まゆさま  












 エレベーターの扉が閉まると、ひとりきりになれたのを幸いと、軽く息を吐いた。
 賽の河原で石を積む。まさにそんな心境になるほどに、あとからあとから仕事が追いかけてくる。今日も朝食会に始まって、午前中だけですでに3つ目の会議を済ませたところだ。
 元から忙しい身ではあるし、年度末にその多忙に拍車がかかるのも毎度のことだ。まして今年は、鷹通との業務提携の縮小や解消に伴う業務が決算をより煩雑にしている。それが自分の突然の婚約解消が招いた事態である以上、黙々と業務をこなすより仕方がない。
 マヤとの未来のために、婚約を解消した。だからこその忙しさなのだから、むしろ喜ばしいことだ。

 でも、な。

 もうずいぶん長いこと、マヤと会えずにいる。それがさすがに堪える。彼女も押しも押されぬ位置を占める女優として、タイトなスケジュールをこなしている。水城くんが気配りをしようしてくれるが、有能で鳴る彼女をもってしても俺達のすれ違いを埋める予定を立てるのは難しいことらしい。
 せめて電話でも、と思わないでもないが、声を聞いてしまったらいてもたってもいられなくなりそうで、心を鬼にしてぐっと我慢している。
 彼女からは時折、いかにも慣れないふうな、たどたどしいメールが携帯に送られてくる。内容も他愛もない。その日のロケ弁当の画像だったり、誰かの失敗談だったり(おそらくは彼女自身のことなのだろうと思うのだが、彼女のメールには「共演者の方が」と書いてある)。そして最後に必ず「お体に気をつけて」と俺を気遣うひとことが添えられている。そのメールを読んでしばし彼女に思いを馳せてから短い返信をするのが精一杯、というところだ。
 昨日は彼女からのメールはなかった。映画のクランクアップを目前に控えて、彼女も仕事に埋もれているのだろう。

 「少しは淋しいと思ってくれてるか?」

 沈黙を続ける携帯に向かって、毒づいてみた。


 社長室に戻れば、案の定、机の上には新たな未決済書類の山が築かれていた。
 「さてさて、また石積みを始めますかな」
 半分自棄のような気分で席に着こうとすると、書類に混じって宅配便の伝票が貼られた袋が置かれているのに気付いた。
 会社に届けられた荷物はすべて秘書室で開封した後、水城くんが必要と判断したものだけが社長室へ持ち込まれる。こんなふうに未開封の袋のままに机の上に置かれることなど、まずない。
 「何だ、これは?」
 恐る恐る手にして、配送伝票を確認した。

 その瞬間。
 伝票に並ぶ文字に目を射抜かれたかと思った。
 そう、差出人は、マヤだった。
 引きちぎるように封を切って、中身を取り出す。袋の中からは、生成りの色目がやさしい印象のセーターと、カードが現れた。




速水さんへ

お仕事、お忙しいことと思います。ムリはしていませんか。コチラも映画の撮影、なんとか順調に進んでいますよ。
さてさて。
がんばっている速水さんへ、応えんの気持ちをこめて、ささやかなプレゼントです。 お仕事が終わったときに着てもらえたらうれしいな。
なかなか会えなくてさびしいけど、次に会えるのを楽しみにして私もお仕事、ガンバリマス!
速水さんはもうがんばりすぎなほどにがんばってる人だから、「がんばってね」とは言いません。
体に気をつけて・・・元気でいてください。

北島マヤ


・・・追伸。
ホントはブランドものとかの方がいいのかなあ、とも思ったんだけどそういうの、よくわからないし、そういうお店にひとりで入る勇気もなくて安物でゴメンナサイ。でも、気持ちだけはいっぱいこめてますので、それで許してね。





 改めて袋を見れば、フリースの大量販売で急成長をしたカジュアルウェアショップのロゴがプリントされている。確かに値段が安いことで知られている店だが、そんなことはどうでもよかった。ただ、ただ、マヤの気持ちがうれしかった。
 たたまれたセーターをそっと広げて体に当ててみる。シンプルで飾らないデザインは、マヤらしい選択だ。ざっくりとした編地は綿素材のようで、肌触りも心地よい。もう一度、カードを読み返す。ところどころ平仮名のままになっている言葉が混じるが、マヤの気持ちがまっすぐに伝わってくる文面だった。

 「まいった、な」

 頬がゆるんでくるのを自覚できた。突然の贈り物で相手を驚かせるのは自分の専売特許だと思っていたのに、鮮やかに逆転トライを決められた気分だ。
 次の休みには、これを着てあの子に会いに行こう。仕事、片付いたよ、とあの子を抱きしめよう。
 われながら単純だとは思うが、疲れた体に溜まっていた澱のようなものが、静かに溶けていくのがわかる。新しいエネルギーが満ちてくるのがわかる。

 「待ってろ、マヤ」

 自分に気合いを入れるように、そう声に出して言ってから、未決書類の山に手を伸ばした。




 そして、待ちに待った4月2日土曜日。やっと、やっとすべてから解放される休日が訪れた。
 マヤの誕生日を共に祝った日以来だから、ほぼ1ヶ月半ぶりに彼女に会える。

 「速水さん、お疲れでしょう?おうちに帰れるの、いつも日付が変わってからだって水城さんに聞きましたよ」

 どこでも好きなところへお付き合いしますよ、と言う俺に、彼女は「ゆっくり休んで」と言ってくれた。すでに公表している付き合いだし、誰の目も憚らずに彼女をあちこち連れて歩き、マヤは自分だけのものだ、と主張するようなデートも楽しいだろうが、彼女の部屋でふたりだけでのんびりするのも悪くない。

 「じゃあ、家で待ってますね」

 彼女の部屋へ向かう道すがらも、電話越しとはいえ、久しぶりに聞いた彼女の弾んだ明るい声が耳の底で鳴っていた。
 もちろん、プレゼントされた服を着てきた。いつもはネクタイを締め上げ、きっちりと武装している襟元が外気にさらされて、穏やかな春風が素肌を撫でていく。その不慣れな感触が、休暇の訪れを実感させてくれる。

 「マヤ、おはよう!」

 「あ、今、開けますね!」

 インターフォンが切れる。彼女が玄関へと廊下を走ってくる気配がドア越しに伝わってくる。そして、カチャン、と音をたててキーが回された。


 「マヤ、それは・・・」

 「え、あの、実は、おそろいで買っちゃったんです・・・」


開けられたドアの向こうで、
真っ白な、同じデザインのセーターを着た彼女が

頬を染めながら微笑んでいた。





















fin




04.08.2005







 あとがき 



■まゆさんより

ブラウザの「お気に入り」から「scene」をクリックして、開いたページを見た瞬間、胸の奥がキュッと音をたてました。
速水さんの心からくつろいだ表情。まさに癒されている彼を見て、自分もまた同じ光に包まれていると感じました。
絵から自然と物語が聞こえてきて、それを文字に拾い集めてみたくなって、こんなお話を書いてしまいました。
久しぶりに「ガラスの仮面」のジャンルで書きました。発作的に書いたつたない作品ですが、「感想替わりに」とお届けしたところ、気持ちよく受け取ってくださった上に、こんなステキなページに仕立ててくれた咲蘭さんに心から感謝します。
咲蘭さん、これからもステキな「場面」をたくさん見せてくださいね。楽しみにして います。



■咲蘭よりお礼

続けてるといいことあるんだなー。
自分なりにガンバッテると神様はちゃんと見てくれてるんだなー。
まゆさんからの贈り物を目の当たりにした瞬間、思わずパソコンの前で絶叫して、そして、じんわりと嬉しくなりました。まだまだ、改善の余地のある作品ばかりの私ですが、それでもちゃんと伝えたかったモノを受け取ってくださる人がいるんだなと思えて、感激しました。
まゆさんの作品をsceneにお迎えできて、感無量です。
パロを書き始めた頃、まゆさんからいただいたあたたかいアドバイス、今でも書くときに心に留めています。こうして書き続けていられるのは、実はまゆさんのおかげでもあります。
まゆさん、本当にありがとうございました。




thanks