◇ written by 杏子さま ◇ |
会いたくて寂しい 会えなくて寂しいではなく あなたに会いたくて寂しい 数えてしまったあとで、数えなければよかったと後悔した。 ぎっしりと仕事の予定で埋まったスケジュール帳に書き込まれた、自分だけが分かる印。ハートを書くのはあまりに露骨で、例え誰にも見られないと思ったとしても、決して自分には出来る芸当ではなく、それでも精一杯の差別化を図るために、そこには紫色のペンで小さな丸がかかれている。カレンダーの日付の升目のちょうど右下に、見落としてしまいそうなぐらい小さな丸が。 1月は4回。 2月も4回。でも、そのうち一個は半円だ。二人きりではなく、仕事の関係で会っただけなのだから、半円。「会った」けれど、「会ってない」わけで、半円。これも、自分だけが知っている、そしてかなりどうでもよい印だけれど。 3月は2回、そして半円も2回。 4月は1回。 そして、 5月は……、 まだ一度も紫色の印はない。丸も、半円でさえも。 マヤはこの半年に真澄と会った回数を数え、体中でため息をつく。大きく息を吐いても、肺はすぐに悲しい色の空気で満たされるようだった。 会いたい、会いたい、会いたい、会いたい。 発作的に持ち上がる感情をしまいこむように、わざと音を立ててマヤはスケジュール帳を閉じる。両手の手のひらで、挟むように。 パタン。 閉じた手帳をおでこに押し当て、眼をつむる。 心が静かになるのを待った。 こんなことぐらいで振り回されない、 思い描いたとおりの「いい女」の自分になれるまでの、 すべての感情を体中の簡単には取り出せない引き出しのあちこちにしまいこむまでの、数分。 心が元通りになると、ゆっくりと眼を開ける。 世界はいつもと同じだった。 けれども思う。 あと何回こういう思いをしたら、恋する気持ちはすっかりなくなってしまうのだろう……、と。 真澄の顔を思い出そうとしても、 上手くまぶたの裏にそれが浮かばないことも、 真澄の体温を思い出そうとしても、 皮膚の細胞はそんなことはすっかり忘れてしまっていて、 ただ寒々しい静寂だけが横たわる、この一人きりの部屋で、マヤは思う。 今こうして生きてる自分が恋している相手は、本当に生きてる生身の人間なんだろうか――。 何もかもが、自分の妄想であり、都合のいい空想なのではないか――。 そして辿り着く場所はいつも、同じ。 自分が思うほどに真澄は自分のことなど、好きではないのではないか。 好きだとは思う。 いいかげんなつもりもないと思う。 ただ、 ただ、仕事が尋常でないほどに忙しいからであって、 自分が思い悩む一週間も仕事に忙殺される真澄の体内時計では、きっと一日ぐらいの感覚にしか満たないのであって、 それほどの地位で仕事をする身だからこそ、 それほどの責任を負う身である真澄だからこそ、 それは仕方のないことなのであって、 そんなことは最初からわかりきっていたことで、 二人が付き合う前から、そもそもこんな身の程知らずの恋が何かの間違いで成就してしまった時点で、 自分はわかっていると、充分に分かっていると、思っていたはずで、 だから、だから、だから――。 思考が止まる。誰も居ない空間で。 振り向くと、もうそこには誰も居ないような感覚。 自分は一体、誰に対して、何に対して、言い訳をしているのだろう。 もう、疲れてしまった……。 驚く。 たった今、自分が思ったことに、自分の中に湧き上がった、その感情に驚く。 疲れた? 行ってはいけない、いや、行きたくはない方向に急に電車が走り出したような感覚。 恋をすると切なくなる、というのは本当だ。 でも、これは違う。 切ない、というより、重く苦しい。 ただ、重く苦しい。 こんなの、 こんなの恋じゃない。 一点の曇りもなく、心にたったいま浮かび上がってしまったその一文に、マヤは愕然とする。 声が聞きたかった。 会えないのであれば、せめて声が聞きたかった。 別に「好き」だとか「愛している」などと言ってくれなくても、どんなに馬鹿にされるような一言でも、ぶっきらぼうな「おやすみ」でもなんでもよかった。それが真澄の声であって、それが真澄が自分の声が聞きたくてかけてきてくれた電話でさえあれば、それだけで充分だった。 ”真澄が自分の声が聞きたくて” その一文にマヤはまた立ち止まる。 会えないことが辛いのでも、 会えないことを嘆き悲しんでるのでもなく、 ずっとずっと自分の心に重くのしかかる思いは、 ”真澄は自分に会いたいと、声が聞きたいと、思わないのだろうか” 会いたいと思えば10分でも会おうとするのではないか、声が聞きたければ1分でも電話をするのではないか……。 会えない事実よりも、会えないのは真澄の中にそういった欲求がないからだ、と認めるその作業こそが、何よりも、何よりも、マヤには辛かった。 それでもマヤは知っていた。 これほど声が聞きたいと思っているのに、自分には握り締めた携帯のダイヤルを押す勇気などないということを……。 左手の親指で、アドレスを呼び出す。090で始まる真澄に繋がるその数字たちを眺める。あとは、電話のマークのボタンを押すだけだ。 一体、何度同じことをしたのだろう。 例え演技であったとしても、これほど芝居じみた苦笑はないだろう、という笑みを浮かべ、マヤは待ちうけ画面を呼び戻そうとする。 その瞬間、 手の中薄い、ピンクの携帯が震える。 液晶に表示されたその名前に、文字通り、心臓が飛び上がる。思わず、携帯を取り落とす。そんなことをしたらせっかくの電話が切れてしまうのではないか、と自分で自分に腹を立てながら、あわてて拾い上げた携帯のボタンを押す。 「も、もしもし?」 真澄からやっと電話がかかってきたら、もっとかわいい拗ねた声で出てやろうと思っていたのに、そんなことは全てどこかに吹き飛んでしまっていて、ただ声を出すのが精一杯だった。 ヘンな声、 自分でも思う。 「なんだ、マラソンでもしてたのか、息がきれてるぞ、チビちゃん」 穏やかな、それでいて少し意地悪な、けれども少しも棘を含まないその声が、あっという間に心臓を掴む。いつもなら、何かを言い返すつもりだったが、久しぶりのその暖かい声とぬくもりに、取り出せない場所にしまったはずの気持ちがあふれ出る。むき出しになった心臓が声をあげる。 「息、切れますよ。 速水さんから電話なんか来たと思ったら、息ぐらい切れますよ。 声が聞きたい、聞きたい、聞きたいって、会えなくても声ぐらい聞きたいって、祈るように思ってたら、そしたらその瞬間に携帯鳴ったから、そんなの……、気持ちが通じたって思っちゃって、感激しちゃって、電話だって落っことしちゃって、切れちゃってたらどうしようって焦って、拾って、そしたら息なんてガンガン切れちゃいますよっ!」 自分でも何を言っているのか、分からなかった。分からないけれど、分からなくてもいいと思った。 自分が真澄の電話一本で、こんなにも幸せな気持ちになれてしまうことが分かっただけで、それだけでよかった。 そこから先は、もう機関銃のように、壊れたラジオのように、次から次へと話題を投げる。話すことが楽しくて、真澄が笑ってくれるのが嬉しくて、二人の前に突然共通の空間が広がったことが嬉しくて、 そして、 そしてその空間が真澄の一言で、唐突に断ち切られるのが怖くて、 「チビちゃん、そろそろ……」 とか 「じゃぁ……」 とか、もしくはもっと最悪な場合は、 「子供はもう寝る時間だぞ」 などという、人を馬鹿にした、子供扱いした言葉でこの空間が遮られてしまうのを、何よりも恐れ、マヤは喋り続ける。 けれども、やはり”それ”はやってきてしまった。 「チビちゃん、そろそろ……」 その言葉に、全身の細胞がしぼんだ気分になる。 けれども少しも声はしぼませずに、マヤは言う。つぎはぎを当てたように不自然な声になってしまったのはしょうがないけれど。 「あ、はい。お仕事ですよね。お忙しいのに電話、ありがとうございます。 なんか、いっぱいベラベラ、喋っちゃってごめんなさい。 なんか、嬉しくってつい……。あきれたでしょ?うんざりしたでしょ? ごめんなさい、あの……」 「チビちゃん――」 遮る真澄のその声に、マヤは今、自分の携帯と真澄の携帯が目に見えない線で、一直線にピンとまっすぐに繋がった気がした。そのくらい、今、二人の間には余計なものは何も、誰も居ないような、そういうシンとした沈黙が今、どこからか落ちてきたようだった。 「そうじゃなくて――」 何がそうじゃないのか? じゃぁ、どうなのか? 予想外の真澄の言葉に、マヤは体の使われていなかった細胞が突然眼を覚ましたような感覚を覚える。 「少しは俺にも話させてくれないか?」 いつもの嫌味に穏やかさの膜が張ったような、けれどもどこかあらたまった声。 「あ、どぞ」 情けないほどに気の利かない、自分の言葉。 クスリと笑う声が、受話器の向こうに聞こえた。 「今まで、寂しい思いをさせてすまなかった。 一日も早く、この状態に辿り着くにはこうするしかなかったとは言え、忙しさを理由にこんなに寂しいを思いをさせてすまなかった」 真澄の口から出てくる言葉は、日本語であるはずなのに、意味が、というか行く先が分からず、マヤは言葉を発することも出来ずに、ただ続きを待つ。 「この半年で、片付けるべきことがすべて片付いた。1年かかると思ったが、無理をすれば半年でなんとかなった。君にも結果的には無理をさせてたわけだが、わかっていてどうすることも出来なかった俺を許して欲しい」 ”許す” その聞きなれない言葉に、マヤは違和感を覚える。自分が真澄に対して許すことなど、あっただろうか?けれども、心はその言葉に急速に癒される。 真澄が気づいていなかったわけではないということ。 自分の寂しさをきちんと分かっていたということ。 そして……、 「俺も君に会いたくて……」 そこで放たれることをためらうように、言葉は一度立ち止まる。 「寂しかった」 その言葉をマヤは何度も、何度も鼓膜の奥で再生する。瞳を閉じて。 ”愛している”といわれるよりも、自らの不在を寂しいというその声に、マヤは強烈な愛情を感じる。 何かを言おうとするが、それらは続く真澄の言葉に道を譲る。 「でも、寂しい夜も、もう終わりだ」 真澄の言葉たちが歩む、その一筋の道のむこうに差してきた光を、マヤは眼をこらして一心に見つめる。 「もう、一人にしない、させない……。 俺も、もう一人は嫌だ。 すべてがやっと終わった今、すべてをもう一度君と始めたい」 言葉の一つ、一つの価値が重過ぎて、全身全霊でその言葉たちを受け止めないと立っていられない、とマヤは思う。 マヤのその沈黙に耳を傾けた後、真澄はゆっくりと今までの人生で、一番言いたかったことを言う。 「ずっと一緒に居て欲しい」 「ずっと?」 「ああ、ずっとだ」 「ずっとってずっと?」 「ずっとはずっとだろ」 クスクスと広がる笑い声。つられたように広がる笑い声。 「おい、チビちゃん。ここは笑うところじゃないだろう!」 「いいえ、速水さん、ここは笑うところだよ。だって、こんなに幸せな瞬間は、笑うところでしょ?今、笑わなかったらいつ笑うの?」 そして、笑い声のむこうに聞こえてきた、世界で一番幸せそうな声は、臆面もなく真澄の言葉に答える。 「速水さん、私も速水さんのことずっと好きだよ。一生大好きだよ」 05.24.2004 ■杏子さんより 10000年ぶりにパロを書いてみました。これ以上ないほどにヘボく、ショボく、 違う意味で涙でます。ごめんなさい、ごめんなさい! 路頭に迷って人の名を呼んでいたこのパロを、今も昔も変わらず、愛の手を差し伸べてくださる咲蘭さまさまさまが、没収、いえ回収してくださいました。こんなしょうもないものを拾ってくれた咲蘭ちゃん、あなたは神です。ありがとーーーー♪ ていうかですね、”サイトオープンおめでとう生け贄”を献上する、献上する、と拡声器で町内会の隅々まで轟かせておきながら、いまだ未納でごめんなさい。とりあえず、これでお茶を濁すだけ濁して、本日は失敬いたします。 ■咲蘭よりお礼♪ 花嫁のブーケトスのように空間に放たれたお宝パロを、居並ぶ群衆をかき分け見事なトリプルアクセルを決めつつ見事ゲト。偉いぞ咲蘭!自分を誉めたいぞ!! そんなわけで、咲蘭の生みの親・育ての親の杏子さまさまさまの10000年ぶりのパロを頂戴してしまいました!!!!やったぁぁぁ!!! 恋する乙女な恋する心情を切々と語らせたら日本一な杏子ちゃん。 今回も、咲蘭がすっかり忘れていた恋する気持ちをぐぐぐっっと思い出させてもらいました。一つ一つの言葉や心情がいちいちリアルに迫って参りました。ああ、そんな想いをしていたこともあったわ…と、しばし遠い目。 しかし、私ときたら、杏子ちゃんの文体を感じただけで震えるほど嬉しいとは。 「俺は、いつまでも君のファンでいつづけるよ…」 と真澄ばりに言ってみたくなったりするのでした。 杏子ちゃん、本当にどうもありがとう!!! また、書いてね…(ぼそっっ…) |
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