written by はるか さま  


















タンポポが好き
シロツメクサが好き
コスモスが好き

梅が好き
桜が好き
コブシが好き

あやめが好き
水仙が好き
ヒヤシンスが好き

だけどバラは―――

バラが好きだなんて―――

言えない。






バラは美しい。
バラは棘が痛い。
バラは薫り高い。

そして紫は

高貴な色
不機嫌な色。

これは紛れもなく、あの人の花だと思う。




腕に抱えきれないほどのバラをもらって
嬉しくない女の子がいるだろうか。
ましてや珍しい色のバラを贈られて
誇らしく思わない子がいるだろうか。

あたしも、そうだった。

花を買うなんて、もらうなんて
無縁の生活を送っていた。
たとえ道端に生えている雑草であっても
花を飾るなんて、あたしと母さんの生活にはありえなかった。
必要なものさえ買えない毎日だったから
通学路の花屋をのぞくたび
ここは自分とは別の世界の入り口のように思えた。

どんな人が花を買うんだろう。
きっと、毎日のご飯の心配をしなくていい人だ。
人からもらったものを着なくてもいい人だ。
花を眺めるような時間の余裕のある人だ。

どんな人が花を贈られるんだろう。
大事にされている恋人だろうか。
結婚記念日や誕生日をちゃんと覚えていてもらえる奥さんだろうか。
けがをしたりして入院してる人だろうか。

それとも―――

舞台で光を浴びる、そんな人だろうか。




「何が食べたい?」と言われて
「ラーメン」としか答えられなかったあたし。

あのとき、「どんな花が好き?」と聞かれても
きっと「たんぽぽ」くらいしか答えられなかっただろう。

でも、本当はバラが好きだった。

花屋さんでもいちばん奥のガラスケースに収まって
とても、大事にされているバラが。
棘のあるしなやかな茎も
やわらかく整った葉も
ゆるく巻き返す花びらが
上品に少し反り返るさまも
そして、植物のものと思えないほど洗練された香りも
大好きだった。
憧れていた。

だから、とても嬉しかったのだ。
ほかのどの花でもなく、バラを贈られたことが。
バラの中でも、珍しいという紫色を贈られたことが。

とりえがないとか、平凡だとか。
ろくなもんにならないとか。
ことあるごとにそう言われたあたしは
美しいものから目をそむけていた。
あこがれるだけ無駄だと、そう思っていた。

でも
あたしにもできることはあった。
それを信じさせてくれたのが
紫のバラだった。
その人から見れば
こんなあたしでも紫のバラの価値があるのだと
そう信じさせてくれた。



速水さん。
紫のバラの人。

知っていますか。
気づいていますか。

紫のバラは、あなたそのものでした。

あたしには手が届かない、遠くから眺めるだけの花。
戯れに近づいては怪我をする。

けれど
あなたもあたしを想ってくれるなら

贈ってもいいですか。

―――紫のバラを








紅天女の初公演が終わり、主演女優北島マヤにもギャラが支払われる。
他の出演者なら口座に直接振り込まれるところ、マヤは

現金で、直接手渡ししてください。―――速水さんが、じきじきに。

と申し出ていた。
いぶかしく思ったものの真澄は了解し
社長室で儀式めいた給与の授受が行われることとなった。


「・・・よくがんばったな。」

「はい。」

そういって真澄が手渡したものは
マヤがいままで手にした中では一番厚みのある札束の入った封筒だった。

押し戴くようにしてマヤはそれを受け取る。
胸に抱くようにして、ほっとしたようなため息をついた。

「あ、あの、速水さん。
これからお時間ありますか?」

意を決したようにマヤが問う。
忙しい真澄に公私混同させたくなくて
マヤのほうから誘うことはめったにない。

「・・・もちろん。今日はそのつもりだったんだが。」

とたんに、彼女の頬がバラ色になる。
ああ、この顔が見たかったんだ。
真澄はいつになっても遠慮がちな小さな恋人を前に
苦笑を隠せない。


約束を、彼女は嫌う。
忙しい自分を縛ることを嫌がる。
それは多分に自分にも責任があって
つい予定が押して約束を反故にせざるを得ないことが何度かあったのだ。
そんな時、彼女は決して自分を責めない。
以前の、出くわすたびの言葉の応酬を思えば信じがたいほどに。

―――しかたないですよ。つぎ、たのしみに・・・してますから

言葉の最後のほうを滲ませて
やや性急に電話を切る。
切れた通話の先に
泣いているであろう彼女のことを思って
胸に錘をつけられて海に沈められていくような気持ちになる。

だから、偶然を装った逢瀬がちょうどいいのだ―――今は。




久しぶりに自分で運転席に座る。
左ハンドルを選ぶにはわけがある。
右手で、利き手で、彼女に触れることができる。
信号待ちの、ちょっとした時間を見つけては
彼女のうなじに手をやってキスをする。
渋滞は嫌いだが、彼女と二人なら悪くない。

目的地に着くまで、あと何回キスできるかな―――

そう口にしたら
案の定また頬を染めて―――え?

「少なくとも、・・・あと一回は。」

薄暗い中狙い済ますように
小さな唇が、口元を掠めた。


・・・何時の間にこんなことができるようになったんだ、おれのチビちゃんは。


おいしいものは何でも好き。
変わったものを食べるのも好き。
でもね、フランス料理とか、ちょっと苦手。

どうして?
君の好きなケーキはフランス料理じゃないのか?

それはべつっ!

・・・だってね、お皿がみんな別々なんだもの。

え?

お皿。
あたしのと速水さんのと、みんな別々に出てくるでしょ。
なんかそれってさびしいなぁって・・・

くっくっくっ・・・・
なるほどな。
君がそんなにさびしがりとは知らなかった。
今度は中華にしよう。
あれなら大皿から取り分ける料理だからな。

本当?

ああ。それに皿から取り分けるわけだから君がどれだけ食べたのか
はっきりとはわからない。
足りないと思っても我慢しなくてすむぞ。

どうしてわかったの・・・

君のことなら何でも知ってる。

うそばっかり。
ずっとあたしに嫌われてるって思ってたくせに。

それを言うな・・・






「ね、ここでおろして。買い物があるの。」

「こんな時間にか?」


食事も済んで、およそ店の開いている時間とは思えなかった。
だがマヤは迷うことなくドアを開け、あとから真澄がついてくることを疑いもしないそぶ りで歩き出す。
マヤの住まいの近く、地元の住民が使うような店はほとんど閉まり
飲食店が控えめな電飾を点けているだけだった。
そして角を曲がったところで。
やや不自然な蛍光灯の明かりが静まり返った歩道に伸びていた。

「すみません、無理言ってこんな遅くに。」

申し訳なさそうなマヤの声。

「いえいえ、いいんですよ。ご注文の品、できてますよ。」

「うわぁ・・・ありがとう。あ、今払いますね。」

そういってマヤは夕方社長室で渡されたばかりの封筒から
結構な枚数のお札を取り出して
花屋の店主に渡した。

真澄が追いついたときは、マヤが代金を払ったあとだった。

「・・・マヤ?」

外側を包むセロファンが見えないほどに束ねられた
紫の、バラ。
小柄なマヤが持つには少々不釣合いなほどの大きさだった。
体の半分くらいはバラに隠されてしまっている。

ゆらゆらと花に埋もれるようにしてマヤは真澄のほうへ歩み寄る。

「・・・はい。」

「え?」

「あなたに。あなたに差し上げます。」

「おれに?」

「はい。速水さんに。」

面食らうおれの腕の中に花束を残して
マヤは少し体を離す。

「ああ、やっぱり。よく似合う・・・」

嬉しそうに、そしてやはり照れくさいのかいささか頬を染めて、言う。

「決めてたの。紅天女の公演でいただく最初のお給料のなかから
速水さんに紫のバラをあげようって。」

「おれに?」

「うん。」


速水さん。



気難しいあなた。
なかなか満足しないあなた。
どの批評家より厳しい言葉を投げるあなた。
けれど
あたしは
あなたに憧れて止みません。
あなたが恋しくてなりません。

だからあなたに
紫のバラを贈りましょう。
わずかな自由になるお金の中で
抱えられるだけたくさん買いましょう。


「やっぱり・・・似合うなぁ。速水さんとバラ。
どうして自分で渡しに来てくれなかったの?
そうしたらあたしいっぺんで速水さんに恋に落ちていたのに。」

口当たりがいいので少々すごした果実酒が
彼女の口を滑らかにしていた。


簡単に恋に落ちるなど―――あるはずがなかった。
おれと彼女の間には
深い亀裂が、避けられない衝突が、そして死が横たわっていたのだから。


「受け取ってください。
あたしの気持ちなんです。」

バラは、紫のバラは、あたしの夢でした。
あたしにはもったいないようなきれいで、貴重なバラは
憧れつづけることの大切な糧でした。
あたしなんかにできるわけがないって、そう思いがちだった心に
唯一、あたしは紅天女にふさわしいって信じさせてくれたものでした。

「花は贈るものだと思っていたが・・・
贈られたのは初めてだ。
・・・いいものだな。
ありがとう。大事にするよ。」

紫の花の海の向こうに、
薫るような笑顔の恋人がいた。







百万本のバラの花を
あなたに あなたに あなたにあげる・・・

―――母がよく台所で歌っていたっけ。

もうさほど遠くない家まで歩いて送る途中、
真澄はふと思い出した歌を口ずさんでいた。

「あ、その歌知ってます!」

「そうか?まあ、有名なものだからな。」

窓から窓から見える広場を
真っ赤なバラで埋め尽くして・・・

「なんだか悲しい歌ですよね。
画家は女優に全財産はたいて贈り物をしたのに何にも報われなくって。」

「・・・そうかな。」

「え?」

「いや・・・画家は幸せだったんじゃないか?」

「バラの思い出だけで?」

「ああ。」

「・・・どうしてですか?」

「いや・・・なんとなくわかる気がするんだ。
ファンっていうのは・・・そういう一見愚かなことをしても幸せなもんだからさ。 バラを贈ったのも報われたくてしたことじゃないんだ。」

「・・・」

「何か期待して贈るんじゃなくて
今までしてもらったことに対して贈る―――
たとえそれが自分個人に向けられたものでなくても―――
そういう贈り方もあるってことだ。」

とたんに、マヤの表情が華やぐ。

「そう!そうなの!いままでほんとうにありがとう・・・
もう、これから何をしてくれても何をしてくれなくてもいいの。
本当に、ありがとうって・・・だから、これがあたしの気持ち、です。
あ・・・あたしも、速水さんのファンなのかも。」

「ファンって・・・」

それはおれの専売特許だ、真澄はそう返そうとして遮られる。

「うん、そうだ。きっとそうだ。
お仕事してて、年上の人にもがんがんものを言ったりしてるところとか
あたしにはありえない速さで書類をめくってるところとか
すごく・・・優雅な手つきでナイフとフォークを使ってるところとか。
速水さん、すごく素敵だもん。
あたし、ファンなのかもっ!」

「・・・そうか、チビちゃんはおれのファンか。」

「うんうん。そうだよ。
だからさ、ファンは見返りとか求めないんでしょ?
あたしも今そんな気持ちだもん〜」

「・・・マヤ。」

急に視界が暗くなったと思ったら、きゅっと抱きしめられていた。





「・・・泣きたいんだろ?泣いていいぞ。」

「なっ・・・!誰が泣きたいなんて・・・!」

バラの瑞々しい香りがのどを詰まらせる。

「無理をするな。いつも忙しくしているおれが悪い。
お前はちっとも悪くない。
だから・・・いろんな理由を探してきて寂しさを埋めようとするな。
さびしい事を忘れようとしないでくれ。」

寂しさは恋しさの裏返し
寂しさは逢いたさの裏返し

「寂しいなら・・・そういってくれ。
逢いたいなら、言葉にしてくれ。
好きなら、我慢するな。」

「でも・・・速水さんはいつもお仕事が大変で・・・」

「それでもだ。
寂しさを紛らわそうとするくらいならぶつけてほしい。
物分りのいいふりをしないでくれ・・・
愛されてないんじゃないかって、不安になる・・・」

「え・・・?いま・・・なんて・・・?」

「・・・何度も言わせるな。」

「・・・よく聞こえなかったん・・・です。」

「・・・君を、愛してる。」

「うん・・・うん・・・」



あなたに
百万本のバラを
きみに
百万本のバラを

もっと欲張りになってもいいの?
もっと好きになってもいいの?



あなたのまえで

泣いてもいいですか

あなたに受け取ってもらえれば
涙もきれいなものになるのでしょう。


あなたのまえで

言葉にしてもいいですか

誰よりも
何よりも

バラが、すきだってことを―――











fin




03.09.2005







 あとがき 



■はるかさんより

きっかけは、the board of sceneでの私の「初」書き込みでした。

咲蘭さんの素敵なイラスト「1st anniversary」 にハートを溶かされた私は
二人の状況を想像して
「こんな感じなのかな?」と幸せな妄想を書き込みさせていただいたところ
数日後にはなんと「あたしはあなたのこんなところが好き」というすてきなお話が!
淡い初恋が思いがけずかなえられたようで(←もちろん思い込み(笑))
嬉しいやらびっくりするやらで、どきどきものでした!
で、あまりにも嬉しかったものですから
何かささやかでもお礼ができればいいなぁと思い
ガラパロに無謀にも挑戦いたすことに。

咲蘭さんのページレイアウトはいつ見てもすばらしいですが
タイトルをすてきなロゴにしていただけたり
花束のような壁紙をつけてくださったり
なんだか夢のようです。

こちらにお邪魔するようになって日も浅い(05年3月現在(笑))私ですが
咲蘭さんへの敬愛をこめて贈らせていただきます♪



■咲蘭よりお礼

どーですッ?幸せになれちゃいましたでしょう?(なぜ咲蘭が自慢?)
カキコに反応して書いたお話を喜んでくださり、なおかつお礼だと言ってこーーんな素敵なお話を書いてしまわれる はるかさんってば…。
恐ろしい子ッ!(←当然褒め言葉)
じんわりと幸せとやさしさで包んでくれる真澄っぷりに、ただただ何度も読み返してしまいます。柔らかい筆の運び、とても好きです。
これからも、素敵な作品にお目にかかれることを確信を持ってお待ちしておりますね〜♪




thanks