■■  お題 7: 思考回路  ■■



 着飾った人々、混じり合った香水の匂い、次々に押し寄せるうねった笑い声、四方八方から絡み合う思惑。ここにいると何もかも些細なことに思える。たいしたことじゃない。やり遂げることは、あたしの中で始まって終わるだけの小さなことだ。

 難しいことは考えないことにする。
 なにしろあたしは酔っ払っているのだから。

 酔っ払いのほんの戯言だ。
 戯言を真実にするかどうかは相手次第。ずるくて結構。
 なにしろ相当切羽詰っているのだから。 


 こんなお子さまの酔った勢いでの誘いを、真面目に受け取るほうがどうかしている。


*


 「もう、今夜は帰りたくないんです。言ってる意味、わかります?」

 「それは大変だな。だが、幸い今夜のパーティはこの通りホテルの広間だ。帰らずともベッドを用意できる部屋は腐るほどあるぞ。帰りたくないのなら、部屋を取るんだな」

 「そうですか、そうですね〜。でも、速水さんは、あたしの言ってる意味をまるで正確に把握できてないですよ。ダメですねぇ。帰りたくないっていうのは、一人でいたくないって言ってるンですよ」

   速水さんは、まじまじとあたしを見る。いや違う。睨んでる。でもね、そんな目で睨まれたって怖くないです。だって、酔っ払いは最強なんですよ。

 「一人でいたくないのなら、相手は誰でもありなのか」

 速水さんは、そっぽを向いてシャンパングラスを揺らす。まったく相手にされてない。

 「そんなわけありません。ちゃんと相手を選んで絡んでます」

 「…選んでいるクセに、絡んでいる相手はおれだぞ。酔いも相当深いとみえる。まったく、もし、おれがその誘いを受けて君を部屋に連れ込んだらどうするつもりだ」

 「安心してください。速水さんなら受けて立ちますから」

 また、睨む。そんなに眉を吊り上げたって、怖気づきませんよ。こっちだって酔っ払いつつも本気なんです。ていうか、こんなこと素面で言えるほど人生経験、長けてないです、あたし。

 だって、速水さん、もうすぐ結婚しちゃうでしょう?
 今夜がいわゆるラストチャンスなんですよ。
 別に、気持ちを伝えたいとか、結婚やめてくれとか、そういうことじゃなくって。そうじゃなくって。

 嘘でもいいから、一度だけ。たった一度だけ。
 一晩、一緒にいてみたいんです。死ぬほど大好きな人と。
 ただそれだけです。ホントです。

 「もう、今夜は帰りたくないんです。言ってる意味、わかります?」


*


 半ば、そのままタクシーに放り込まれるのを覚悟していたのに、でも、速水さんはあたしの手首を掴んで足早に昇りのエレベーターに乗り込んだ。

 「おれがリザーブしている部屋がある」

 二人きりのエレベーター。掴まれた左手。けれど、速水さんはあたしにチラリと視線をくれて、「なにを考えているんだ、まったく」と、ほとんどぼやくような声で呟くと、無造作に手を離した。
 そりゃ、いろいろ考えてますよ。遠い未来のことはまったくわからなくても、近い未来、必ずやあたしを襲うであろう絶望と戦うために、いま、やれることをやってるんですよ。試行錯誤しながら。
 それが、間違っているかどうかなんて、そんなもの神様にしかわからない。自分勝手は承知の上です。だって、絶望に向かって何もしないのは、あたしらしくないでしょう。

 あたしは、速水さんの右手の薬指と小指に、そっと自分の指を絡ませた。
 速水さんの指が、びくりと硬直したのがわかった。
 触れ合っているのはお互いのたった二本の指だけなのに、それだけなのに。
 怖いぐらいの熱が、そこに満ちていた。


*


 驚いた。
 部屋の扉が閉まったとたん、きつく抱き締められた。
 あたしという存在を確認するように、まるで掻きむしるように、何度もその手指が髪や背中を這った。肩越しにはきらきらとした東京の夜景。抑えこむような溜息。鼓膜を微かに震わせる掠れた低い声。

 「拒むなら今のうちだぞ…」

 あたしは、自分の体を速水さんに預けたまま何も言わない。

 「拒むんだ、チビちゃん」

 小さく首を横に振る。

 「拒んで…くれ…」

 首を振り続ける。

 「……酔っ払いめ…」

 悪態を吐きながらあたしの頬を両手で包む。でもその悪態には怒りではなく、思いがけず困惑と優しさが籠もっていて、あたしの方こそ困惑する。

 余裕など無いような口付けから始まった。柔らかい唇。浅く開いた唇から入り込む熱い舌先。一度触れてしまったら、二度と離れられるものではない思った。馬鹿なことをしていると頭の隅を掠めた。けれど、髪をかき混ぜるその指が、背中にまわされた腕が、寄せられる体が、熱い掌が、その全てが自分を求めているように思えて、あたしはその考えを意識の奥底にしまいこむ。今、速水さんに求められていることに一心に応えて、あたしもまた、速水さんを素直に求めたいと思った。

 「…マ…ヤ……」

 漏れ聞こえる速水さんの声は、確かにあたしの名前を呼んでいる。可笑しいぐらい二人ともお互いを余裕なく求めていた。むさぼるように。
 たった一晩限りの、速水さんにはなんの感情も無い行為のはずなのに?

 吸い込まれそうなほどの速水さんの黒い瞳にあたしが映っている。
 その瞳には、あたしだけが映っている。
 ねえ、速水さん。
 言葉は無くても、その瞳がすべてを語っていませんか?
 隠したって隠せないほど、伝わってくる想いこそ、本心だったりしませんか?
 だって、瞳は嘘をつかないでしょう?その掌も指も…。

 あたしは、抱え込む気持ちに嘘の言葉を付けたくないんです。
 だから、何も言いません。
 もしも、速水さんにもあたしと同じように抱え込んでいる想いがあるのなら、唇で、声はいらないから、一度だけ、たった一度だけ、嘘じゃない想いを教えてください。


 その唇が僅かに動き、声にならない言葉を表す。


 ア・イ・シ・テ・ル…








fin




09.13.2006(graffiti転載)



あとがき


 どこが「思考回路」なんだろうと(笑)。
 マヤとマスが同じ回路で思考して、言わなくてもお互いに想いが伝わって「ア・イ・シ・テ・ル…」の唇の動きになるという…オチだったんですが。ああ、すみません。なにがなにやら…(笑)
 翌朝、これは酔っ払いの戯言として片付けられてしまうのか、マスが一念発起して婚約解消に動くのか、それは神のみぞ知る。各自で補完してあげてください。(無責任)
 ちなみに私は、一念発起に300ユーロ…。




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