■□ インタビュー □■


午後の日差しが柔らかく射し込む明るい部屋に、女性が二人。
一人は若いノンフィクションライター。
一人は日本の宝といわれる往年の女優。



ーそれでは次の質問です。初めて紅天女を演じられた時は、どんなお気持ちでしたか?

その時、舞台の上の私を支配していたものは、ただ一つ。たった一人への溢れるばかりの愛情でした。つま先から、髪の毛一本一本に至るまで私の全てで表現したのです。舞台の上で最高の幸せを感じたものです。



―その方は、今では伝説となっているお話ですが、紫の薔薇の人と呼ばれる方でしょうか?

…そうです。たった一人、私が愛した人です。



―その方は北島さんを愛していらしたのでしょうか?

ええ…。そうですね。私は愛されていました。



―立ち入ったことをお伺いします。お二人はその愛情を確認なさったのでしょうか?

…言葉では、一度も。それでも、お互いにわかっていたのです。私が彼を愛していることも、彼が私を愛していることも。…若いあなたに分かって頂けるかわからないけれど…。言葉とか、態度とか、私たちはそんな繋がりではありませんでした。もっと深く、根元的なところで繋がっていたのです。



―北島さんは、現在まで独身を通されていらっしゃいますが。

そうですね。私に結婚は向いていないようなのですよ。私は根っからの女優で、舞台を降りても舞台の上の事を考えているような人間で、妻という立場には成りきれない。彼以外の人とお付き合いしたこともあったけれど、どこか上の空の私に愛想を尽かして皆去っていったわ。私も、女優という自分を削ってでも結婚したいという願望はなかったし…。



―深いところで繋がっていたという紫の薔薇の人とお付き合いも結婚もなさらなかったのは、なぜですか?

…私たちが現実の世界で結ばれるというのは、とても難しいことでした。彼は私以外の人と結婚をしていました。それはとても理想的な夫婦に見えました。お子さんもいらしたし。彼が背負っているものは、そう簡単に捨てられるようなものではなかった。ご家族以外にも一口では言えないほどのしがらみが、彼を縛っていました。
…彼はとても仕事のできる人だったの。なんでも器用にこなす人で。だけど、私と奥様の間を器用に行き来できるような人ではなかった。そういうところはとても不器用だったのね。



―その方は、奥様を愛していらしたのでしょうか?

…それが男女の愛と言えるものかは、わからないけれど…。少なくとも“家族”としての愛情はあったと思います。それに彼はお嬢さまをとても愛していらした。



―苦しくはありませんでしたか?自分以外の方と結婚しているその状態は。

…若い頃はずいぶんと苦しみました。愛情と独占欲はとてもよく似ていて、でも非なるもの。それに気が付くまでとても長い時間がかかりました。
昔、月影先生に言われた言葉の意味を本当に理解できたのはそれからだったと思います。



―どんな言葉だったのですか?

本当に大切なのは魂と魂が結ばれること。たとえ表面上の恋が実らなくても…。



―紫の薔薇の人とは、魂が結ばれていたけれど、恋としては実らなかったということですね。

…そうですね。表面上の恋は全く実らなかった。ただ、魂と魂は強く結びついていました。いえ…、今も決して切れることなく結びついている…。



―若い頃は苦しまれたとおっしゃいましたが、何かエピソードなどはありますか?

そうね…。
愛と独占欲の区別もまだ何も分かっていない私は、その頃、彼の結婚式に出席しました。目は彼を見るためだけに開かれ、耳は彼の声を聞くためだけに、体は全神経で彼の息使いを感じるためだけに使われていた。
ライスシャワーの中、彼と奥様が教会の階段を降りてきた。その姿を見て、もう彼は自分の手の届かないところに行ってしまったとはっきりと理解しました。彼は私のものにはならないと。その絶望感は、私の体を蝕み、一時は立ち上がれないほど弱ってしまった。
考えました。私の幸せとはなんだろう。彼を愛することで自分はこんな体になってしまって、私はなぜこんなに苦しまなくてはいけないのだろう…と。そこまで自分を追い込んで初めて、月影先生の言葉が心に蘇りました。



―先ほどおっしゃった“本当に大切なのは魂と魂が結ばれること”というお言葉でしょうか?

ええ、その言葉です。私と彼は決して言葉に出して愛を語り合ったわけではないけれど、お互いに愛し合っていることはいつの頃からか感じていた。ただ一方的な愛ではないことに気が付いていた。その愛を感じることで、自分は生きていける。彼の幸せを願うことだけで生きていけると、やっとその境地にたどり着けたのです。



―そこまで想われて、その方はお幸せですね。

そう…、思いたいですね。



―その方は、今もご健在ですか?

…いいえ…。一昨年、亡くなりました。煙草と酒と仕事が好きな方で、長生きするような生き方ではなかったのね。



―…葬儀には出席なさったのでしょうか?

いいえ…。でも、知らせを聞いて通夜だけに。
奥様と成人されたお嬢さまが側で泣いていらした。その時、私の姿を見た奥様が近づいてきておっしゃいました。

「長い間、妻でいさせてくれてありがとうございました。今…、あなたに彼をお返しします…」と。

そうして、お嬢さまを連れて部屋を出て行かれた。

彼の頬はもう冷たくて、その目蓋は永遠に開くことは無かった。私はその時初めて彼に縋り付いて泣きました。私の体の中にずっと仕舞い込まれていた彼への愛が涙に溶けて、彼の頬を次々と濡らしていった。

もう一度その涼やかな目を開けて私を見て欲しい。その口から低く優しい声で私の名前を呼んで欲しい。その大きな手で私を包んで欲しい…。もう叶わない悲痛な願いを叫びました。

彼が亡くなって、自分ももう死んでいると思いました。もう生きている心地はどこにも無かった。一晩彼の側に寄り添って、一生分の涙を流しました。



―その方の姿をご覧になったのは、その時が最後だったということでしょうか?

そうなりますね。
ただその時、東の空が白々と明けて来る頃、私は夢か現か…不思議な体験をしたのです。
気が付くと私は白い世界にいた。少し向こうにはあの人もいて、私たちは引力に引かれるように一気に近づくと強く抱き合いました。温もりも抱き締められる強さも息使いも感じました。そのまま、体も髪も指も二人の体は溶け合って一つになった。そして、私は彼の声を聞いたのです。

「やっと、ひとつに戻ったね。これからは、ずっと一緒だから…」と。

その声は耳から聞こえてきたのではなく、自分の体内から響き、全身で感じました。その時の私は、恍惚とした信じられないほどの幸福感と悦びに包まれていたのです。

次に気が付いたときは、やはり彼は私の前で目を瞑って冷たい姿で横たわっていました。その後、告別式には出席せず、彼の亡骸を奥様にお返しして私は帰りました。
けれど、その不思議な湧き上がる幸福感は今に至るまで、ずっと続いているのです。彼の魂は私と共にあり、私は彼であり、彼は私なのだと、そう思っています。

…信じられないお話ね?頭がおかしいと思われてしまったかしら…。



―…驚くべきお話です。なんとお返事させていただくべきか迷っています。ですが、そのお話、信じたいというのが正直な気持ちです。

ありがとう。この話を誰かにするのは、あなたが初めてなのよ。信じてくださると嬉しいわ。



―北島さんは彼の死後、ずっと彼と一緒に生きてきたということになりますね。

ええ。私の見るもの聞くもの感じるもの、その全てを彼と共有して生きています。



―お幸せですね。

ええ、とても。



―この春、また紅天女を演じられますね。2年ぶりの紅天女の舞台となりますが、どんなお気持ちで臨まれますか?

この舞台が私の集大成となるでしょう。私の生きてきた証を舞台の上で昇華させるつもりで臨みます。北島マヤの最後の紅天女となるのですから。



―最後とは?今後は、紅天女を演じないということですか?

紅天女だけではなく、私の最後の舞台となります。



―女優を引退なさるということでしょうか…?

…紅天女の千秋楽が、私の人生の千秋楽でもあるということです。自分の体のことは、自分が一番よく分かるのですよ。私はその日が来るのを、胸を弾ませて待っています。女優としてこんな幸せな最期の迎え方があるでしょうか。そして、舞台を全うした後には、彼が待っているのです。



―…どうしてそんな…、そんな悲しいことを、淡々とおっしゃるのですか…?

…どうしたの?泣いているの?
ありがとう…。私のために泣いてくださって。
でもね、私はとても幸せなのです。だから、泣かなくてもいいのですよ。



―…私、その北島さんの幸せな笑顔を決して忘れません…。紅天女の舞台が終わるまで、ずっと見守らせてください。そして必ず、あなたの生涯を一冊の本にします。

…楽しみにしているわね…、彼と一緒に…。



―最後に教えてはいただけませんか…?紫の薔薇の人がどなただったのか…。

それは…。
ごめんなさい。それは、やはり言えないわ。
彼のご家族の名誉にも関わることでしょう?彼は亡くなり、私も彼の元に逝った後も、彼のご家族は現実の世界で生きていかなくてはならないものね。



―そうですか…。とても残念ですが…。紫の薔薇の人がどなたかは、あなたが胸に収めたまま逝かれるのですね?

…そうね。そうさせてくださいな。



―長いお時間、お話くださってありがとうございました。正直申し上げて、こんなにたくさんのお話をいただけるとは思ってもみませんでした。インタビュー嫌いと伺っていたものですから。

インタビューは苦手なのよ、本当は。だけど、あなたには何故かいろいろお話したくなってしまったのね。誰かに言いたかったのかもしれないわ。こちらこそ、聞いてくださってありがとう。



―私、北島さんとお会いできたこと、一生の宝物にします。

ありがとう…。



女優は、少女のように柔らかく微笑み窓の外を見上げる。
そして、心の中でそっと呟く。




夕焼けがとっても綺麗ね…、速水さん…




夕焼け




fin







02.2004




 あとがき 


ああ…、どこからともなく「死にオチかいっ」…というメモ付きのダッタン人の矢が飛んできそうでコワイです。
でも…。
えーと。
これも、ひとつのハッピーエンドの形かなぁ…と思いまして、勇気を出して発表してみました。
原作で月影先生のセリフを読んだとき、とっても妙にひっかかったのです。私もやっぱり普通に速水さんとマヤちゃんには幸せになって貰いたいっっと切望しているのですが、あのセリフの意味を考えると、こういうオチももしかしたらアリなのかな…と思ったりして。
これからもイロイロな二人を書いてみたいな〜と思っていますが、その中のひとつのパターンだと思って頂ければ幸いです。


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