どうして こんなに















苛つきながら時計の針が日付を超える頃、やっと家路につく。

向こうから提案されたプランには重大な欠陥があったのだ。それを指摘されて逆上するようでは銀行頭取も務まらないだろうが…。逆恨みでこちらの事業計画を崩されては堪らない。こちらの株価は安定している。他の金融機関に乗り換えたところでこちらにはたいした痛手は無いんだ。…そもそも我慢ならないのが、あの人を見下した態度だ。経営者としての実績も手腕のあの男には通じない。ただこちらが年若いというだけであの態度だ。まったく、こんなことでは、あの銀行も先行きが見えたようなものだな。そうだ、さっさと乗り換えを検討してやる。

そういえば契約更新直前になって事務所を移籍したいなどと言い出したアイツのフォローまで今日は手が回らなかった。アイツはこれからも伸びるアーティストだ。ここで手放すのは惜しい。要求をきちんとヒアリングしなくては対応できないじゃないか。今日になっても担当者からの報告が上がってこないというのはどういうことなんだ。明日、朝一で担当者を呼び出さないといかんな…。

ああ、それから親父がグループの中間連結経常益のことで、今日になってごちゃごちゃ言ってきていた。上方修正しろと簡単に言うが、そもそも足を引っ張っているのは製造部門が固定費の削減も資材費の圧縮も甘いからじゃないか。今のところ俺の管轄外だぞ。

…などと言えない立場になってきた。
くそっ…体が幾つあっても足りない。

脳内は明日以降に持ち越しになってしまった懸案事項に占拠され、永久ループのようにぐるぐると駆け巡る。舌打ちしながらマンションのドアを開けると、玄関には見慣れたスニーカー。泥付きだ。いったい、どこを走ってきたんだか…。

「マヤ…、来てるのか?」

返事がない。
リビングには脱いだ上着がソファに投げ出され、レンタルビデオのケースが2、3個散乱している。キッチンの流しには、底に紅茶の跡を残したマグカップが置いてある。寝室のドアを開けると、大きなベッドの隅で何も掛けずに、ただ膝を抱えて丸くなって眠るマヤ。
…ひとりで眠るときは、もっと大きくなって寝ればいいのに。

トレーニングのために雨上がりの土手を走った後、俺と一緒にビデオを見ようと借りてきたが、いつまで経っても俺が帰ってこないから痺れを切らしてお茶を飲みつつ一本見ているうちに眠くなってベッドに転がり込んだ…というところか。

ぎし…

ベッドに腰掛けマヤを見る。
罪の無い寝顔だな、まったく。普段はだいぶ大人になってチビちゃんなどと言うのは憚られるようになったが…、寝ている顔は昔と変わらんな。
隣に横になって、膝を抱えているマヤをそのまま丸ごと抱き締めてみる。冷えた腕と背中。ばかだな…風邪をひいてしまうのに、何も掛けずに眠ってしまうなんて。
無造作に顔にかかる髪の毛をかき上げる。しなやかな黒髪がしっとりと湿度を含んでいる。僅かに薫るシャンプーの香り。待ちきれずに既に風呂も済んでいるわけか。
暫しの間指で髪を梳いていると、脳内ではまた永久ループがぐるぐると巡り出す。経営方針説明会のプレゼン資料がまだ未着手だった…。まあいい、だいたいのコンセプトは出来ている…。一度親父と話をしてから一気に仕上げてやる。
それから…、それから…
ふいに腕の中の存在が身動きをして、微かに目蓋を開ける。

「…あ…れぇ…?…速水さん、おかえりなさい…」

「ただいま」

くす…

マヤが笑う。

「何がおかしい?」

「だって…、速水さん、ここに皺が寄ってる」

そう言って、俺の眉間にそっと人差し指をあてる。

「今日もお仕事大変だったんでしょ。それを引きずってる顔してる」

不毛な永久ループをずばり言い当てられて苦笑いをするしかない。
なかなか抜け出せないんだ。特に君に会えない日は最悪だ。抜け出せないまま、下手をすると夢の中まで考えてしまって24時間仕事漬けになってしまうこともあるんだ。

「君なら、抜け出させてくれるかな」

「…え〜…、あ、ビデオ借りて来ましたよ。見る?…」

「見ない…。こっちがいい…」

そう言いながら、唇を塞ぐ。
目を丸くしたマヤの表情が徐々に和らいでいく。
しばらく君の中で漂ってみようか。
頭の片隅にも、もう何も残らなくなるぐらい、その温もりを感じて、柔らかさを感じてみよう。だけど、たとえ頭の中が空っぽになったとしても、君が愛しくて堪らない気持ちだけは何処にも動きようがなくて、あっというまに全身で君を愛してしまうんだ。
いつも君を守ってきたのは俺だと思ってきたけれど、案外そんなことはなくて、君の方こそ壊れそうになる俺をいつも知らず知らずのうちに守っていてくれたのかもしれない…と、そんなことを最近よく思うよ。

君のそばで、今日も明日も


ずっとずっと…



こうしていたいんだ










グラスに氷を滑らせてウォッカを注ぎレモンを軽く搾る。マヤに視線をやって目で飲むかと聞くと、しかめ面をして舌を出して首を降った。くくっ…。なんて顔をするんだ。マヤがこれを飲んだらグラスに半分も飲まないうちに意識が飛んでしまうんだろうな。

「レモンを搾った氷水がいい〜」

彼女のオーダー通りの品をベッドサイドまで運び、俺はベッドに腰掛けウォッカを口に運ぶ。リセットされた脳内がさっきより快適に動いているのがわかる。オーバーヒートしながら出す結論などろくなものじゃない。冷静になって考えつく結論の方がよっぽどましだ。本当は会社を出たらすっぱり仕事のことは忘れて一旦リセットした方が翌朝からの仕事も捗ることはわかっているのだが、つい、いつまでも考えてしまう悪い癖があるんだ。だけど、マヤがいるとそれだけでリセットができる。それに、ウォッカも格別に旨い。

ベッドに俯せになって頬杖を付くマヤが、ニコニコと俺を見上げている。

「何がおかしい?」

「だって、眉間の皺、すっかり無くなっちゃったんだもん。お仕事で苦悩する速水さんもかっこいいから好きだけど、でも、こんな速水さんはここでしか見られないから…」


「だから、なおさら大好き」


そう言って、唇を少し尖らせてキスの顔をする。





どうしてこんなに挿絵




まいったな…。
すっかり降参だ。

どうやら俺は君なしでは生きていけないらしいよ。
どうしてこんなに君を好きなんだろうな。












fin




09.28.2004






あとがき




社長は1日24時間マヤマヤしているというのが正しい基本姿勢なハズなのですが、今回はお仕事に脳内占拠されてる社長にご登場いただきました。
頭の切り替えの出来ない人は仕事も出来ない人だとは思うのですが、どっぷり仕事に嵌ってしまうとそれ以外のことが考えられなくなっちゃって、結局一日中仕事漬けの日々とかありますよね。特に責任ある仕事を任されている人はなおさらのこと。
でも、そんなお仕事人間がふと気を許して癒されちゃう存在っていいな…と。
社長にとってマヤちゃんがそういう存在でいたらいいな…と思って書いてみました。

countget部屋にある「乙女の心安らぐ場所」の逆バージョンかも。お互いに癒しあってるかんじ?
chuなマヤちゃんとshyな社長で甘いお話とかどう?というリク(?)を拍手に残した○○○ちゃん。…こんなん出ました。







fiction menu